連邦に加盟するまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 09:32 UTC 版)
「ブリティッシュコロンビア州」の記事における「連邦に加盟するまで」の解説
ブリティッシュ・コロンビアには、多数のインディアン部族が先住し、現在もキャリア族などのディネ族、チルコーティン族、ハイダ族、リルエット族 (St'at'imc) 、スクワミッシュ族 (Sḵwx̱wú7mesh) 、タギシュ族、トリンギット族など、30以上の言語を話す多くのインディアン民族が居住している。食料や木材、鉱物など天然資源が豊富であったため、ブリティッシュ・コロンビアの太平洋岸では社会が発達し、特にハイダ芸術のような芸術や政治の分野が発展した。トーテム・ポールやポトラッチはもっともよく知られた文化である。彼らの文化であるポトラッチや捕鯨は、20世紀に入ってからカナダ政府によって禁止弾圧された。現在も捕鯨文化の再開を要求している部族は多い。 18世紀の中頃からヨーロッパからの探検家が主にラッコ毛皮貿易のために訪れるようになった。1778年、ジェームズ・クック船長が欧州から北極海経由でアジアへ向かう北西航路を発見しようとこの地域へ到達し、ヌートカ・サウンド (Nootka Sound) に到着。その後イギリス人の入植へと続くが、1513年以来スペインの太平洋岸支配宣言が続いており、イギリスとスペインがヌートカ・サウンドを巡り交戦。その後1794年にヌートカ条約 (Nootka Convention) が結ばれ、オレゴンから現在のブリティッシュ・コロンビア入植地の太平洋岸はイギリスに属することとなる。 その後は欧州との交易や開拓が進んだ。北西会社の3人のイギリス人、欧州人として初めて北米大陸を横断し太平洋に達したアレグザンダー・マッケンジー、この地域にいくつかの砦を建設したサイモン・フレーザー (Simon Fraser) 、デイビッド・トンプソン (David Thompson) などの探検家達が太平洋に注ぎ込むコロンビア川の河口を探索した。「ハドソン湾会社」がその後この地域を管理下におき、ビクトリア砦(Fort Victoria、現在のビクトリア)もその会社の業務を保護するために1843年に建設された。この当時、アメリカの「マニフェスト・デスティニー」---アメリカの領土拡張主義---が最も実際の脅威として考えられた。1846年にオレゴン条約が調印され、ロッキー山脈以西の北米英領とアメリカ領の国境を北緯49度と定めた。
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