連邦の父としてとは? わかりやすく解説

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連邦の父として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 08:25 UTC 版)

ジョン・A・マクドナルド」の記事における「連邦の父として」の解説

この時期になるとマクドナルドは、この地域将来目を向けるうになるイギリス最大植民地政治的なリーダーとして、その他の英領植民地との交流連合などの力も発揮してくるようになっていた。南に国境接すアメリカからの攻撃備える意味もあり、西部植民地と共に共存する政治的安定基盤確保する必要があった。カナダ植民地政治的不安定さ避けるため、1864年マクドナルド保守党とジョージ・ブラウン率いる(自由党起源である)改革党マクドナルドのもとに「大連合」した。マクドナルド北米イギリス植民地を「カナダ」に連合する働きかけ続け1864年9月プリンスエドワードアイランドシャーロットタウン東部のみで連立しようとしていた東部大西洋地域植民地代表に提案シャーロットタウン会議)。1864年10月にはケベック・シティにてカナダ連合への計画採択(「ケベック会議」)。1866年までにはブランズウィックノバスコシア連合合意ニューファンドランドプリンスエドワードアイランド反対したが、最終的に合意。これに基づきイギリス議会英領北アメリカ法制定し連邦制をとるひとつの植民地カナダ自治領Dominion of Canada)」を形成することを決定した。この法律は「1867年カナダ憲法」として現在でも効力を持つ。 以降マクドナルドは、連邦結成の父祖のひとりとされるようになったヴィクトリア女王連邦形成貢献者として、自治領成立1867年7月1日に「聖マイケル・聖ジョージ勲章」をマクドナルド授与した。また同年8月選挙マクドナルド率い保守党政権取りカナダ初代首相となった

※この「連邦の父として」の解説は、「ジョン・A・マクドナルド」の解説の一部です。
「連邦の父として」を含む「ジョン・A・マクドナルド」の記事については、「ジョン・A・マクドナルド」の概要を参照ください。

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