近代的な校舎への移転
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「ブロンクス科学高等学校」の記事における「近代的な校舎への移転」の解説
創立当初から、父母会とモリス・マイスター校長は新校舎の建設を求めて運動を展開していた。それから20年を経て、タフェル校長の下で、エメリー・ロス(英語版)建築事務所の設計による工費800万ドルの新校舎が完成した。新校舎は、ベッドフォード・パーク大通り近くの205丁目にあり、デウィット・クリントン高校、ニューヨーク市立大学ハンター校(現在はリーマン校)などに囲まれた文教地区にある。1959年3月3日、学生と教員は初めて新校舎に足を踏み入れた。図書館の蔵書の移動は、金曜日の午後に各生徒が旧校舎で5冊ずつ本を借り、月曜日に新校舎で返却するという独特の方法で行った。 新校舎には、より近代的な教室、研究室、技術スタジオエリアが備えられている。メインロビーの入り口には、頭上に高さ19メートルのベネチアングラスによるモザイク壁画が飾られている。そこには、マリ・キュリーやチャールズ・ダーウィンなどの科学史の主要人物が、知識を象徴する神のような人物とともに描かれており、ジョン・デューイの「科学におけるあらゆる偉大な進歩は、想像力の新たな大胆さから生まれた」という言葉が書かれている。この壁画は、Humanities Protecting Biology, Physics, Chemistry(生物学、物理学、化学を守る人文科学)と題されたフランク・J・ライリー(英語版)の作品である。敷地内に水泳用の施設がないこと何年にもわたって嘆いている生徒たちは、新しい校舎にプールを作る代わりにこの壁画が作られたのだとして、皮肉を込めてこの壁画を「科学の水泳プール」と呼んでいる。 移転は何事もなく行われたわけではない。移転の最初の春には、様々なストリートギャングが学校に来ており、その内の1つのフォーダムバルディーズがブロンクス科学高校の生徒の髪を剃っているという噂が学校中に出回ったが、これはデマだった。また、移転後初めて、ブロンクス科学高校の女子生徒が体育の授業のために体操服を着て運動場に現れたとき、隣のデウィット・クリントン高校(男子校)の生徒たちが、2つの学校の運動場の間の柵を破壊しようとした。柵は壊れなかったが、その年の残りの期間、女子生徒の体育の授業は屋内で行われた。 1963年6月に25周年を迎えたとき、ジョン・F・ケネディ大統領が「科学と数学における才能ある生徒の育成を目的とした特別プログラムの、重要で画期的な例である」と同校を称賛した。大統領は卒業生の一人であるハロルド・ブラウン(英語版)(1943年卒)を国防研究工学部長に選出したばかりだった。ブラウンは後にジミー・カーター大統領の下で国防長官を務めた。
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