車体更新・体質改善
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 15:06 UTC 版)
「小田急1800形電車」の記事における「車体更新・体質改善」の解説
1957年から1958年にかけて、東急車輛製造において更新修繕が行なわれた。車体は台枠を流用しているものの、ほぼ新造に近い全金属製のノーシル・ノーヘッダーとなり、切妻の前面に63形の面影を残すものの貫通型となり、前面灯火類は位置を変更した上で埋め込み式となるなど、印象は大きく変化した。内装についても、灯具は蛍光灯が採用され、内壁はデコラ張りとなった。なお、このときの更新で扇風機回路が設けられているが、扇風機自体は設置されていない。また、制御回路に弱め界磁が設けられたほか、電動発電機や電動空気圧縮機は制御車への搭載に変更された。デハ1821・クハ1871についても同様の更新が行なわれた上で1800形に編入され、車両番号もデハ1811・クハ1861に改番された。これらの更新と同時に、全ての編成が方向転換され、制御電動車は新宿側に向いた方向に変更された。制御車の連結面寄り車端部には両開きの仕切り扉が設置されたが、これは後年撤去されている。 1962年からは、1800形を2編成連結した4両編成での運用が開始された。 1967年からはさらに体質改善工事が施工された。この時には、台車の枕ばねをコイルばねに変更し、ブレーキシリンダを車体装架から台車装架に改造している。また、制動方式を電磁直通ブレーキ (HSC) に変更したほか、前照灯は2灯式に変更、列車種別表示器の設置が行なわれた。連結器についても密着連結器に交換され、保安装置についてもOM-ATSと信号炎管の追設が行なわれた。さらに、1969年以降には制御装置と抵抗器についても変更された。制御装置は日本では採用例の少ない油圧カム軸式の東洋電機製造APF-H4128-802(ES-802)に交換された。 これらの体質改善工事の後には、4000形との連結運転が検討された。これは、当時大型車のみで8両編成を組成できる形式が5000形と1800形しか存在しなかったため、4000形と連結することで大幅な輸送力増強を図ったものである。この時の検討では、理論的には問題ないという結論になり、1969年からは4000形の3両編成と連結した5両編成での運用が開始された。これに4000形の3両編成を連結し、朝ラッシュ時には大型8両編成での運行も行なわれるようになった。 ところが、1973年4月19日と同年5月2日に連続して脱線事故が発生したため、急遽4000形との連結は中止された。事故の後に社外の専門家を交えた事故調査委員会が設置され、5月28日深夜に実車を使用した測定試験が行なわれた結果、低速時の浮き上がり脱線であることが判明した。これについて、小田急電鉄OBの生方良雄は「4000形のパイオニアIII形台車と、ばねの固い1800形のDT13形台車の相性が悪かったことが真実だと思う」と述べている。小田急電鉄の本社の関係者は、「カーブにかかる遠心力、レールの高さなどさまざまな悪条件が重なった競合脱線が有力である」と話していた。その後は1800形だけで8両編成として運用されることになり、1977年6月まで朝ラッシュ時の急行運用が継続された。
※この「車体更新・体質改善」の解説は、「小田急1800形電車」の解説の一部です。
「車体更新・体質改善」を含む「小田急1800形電車」の記事については、「小田急1800形電車」の概要を参照ください。
- 車体更新・体質改善のページへのリンク