販売・広告戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:32 UTC 版)
1980年代後半の16ビットパソコン市場では、富士通がFM-11・FM-16βと2シリーズで重大な戦略ミスを繰り返したこともあり、NECのPC-9800シリーズがROM-BASICマシンからOSマシンへの移行をスムーズに実現すると共に各分野での対応アプリケーションソフトの拡充に成功したことで、ほぼ全ての用途において寡占を実現していた。 このため、富士通は市場シェアの確保を目指し、16ビット以上のCPUを搭載する高性能個人向けパソコンの展開を模索していた。 8ビットパソコンではFM77AVシリーズのマルチメディア機能と低価格が一定の支持を得ており、性能面ではNECのPC-8800シリーズと充分対抗しうる存在であった。 FM TOWNSはこの流れを汲み、折りしもシャープから発売され、ホビーパソコン市場でNECによる対抗機種(PC-88VA)に事実上圧勝していたX68000から刺激を受け、CD-ROMを始めとした強化されたマルチメディア機能と32ビットCPUの処理能力という新機軸を武器に、個人向け市場においてPC-9800シリーズでは開拓できない分野の需要を掘り起こし、結果的に個人向け用途においてPC-9800シリーズのシェアと拮抗する存在となるべく企画されたと伝えられる。 プロジェクトが発足すると共に、富士通社内で専用部署が設置され、特別に社内公募にてその構成メンバーが集められた。これは当時の富士通がFM TOWNSに並々ならぬ期待と熱意をかけていたことの証左である。 発売にあたっては広告戦略やイメージ戦略を重視し、意図的に先行情報を流したと伝えられている。そして、NHKが『富士通が戦略的32ビットパソコンを開発中』とニュースで報じたり、週刊文春で『NECへ挑戦する富士通』との主旨の記事が掲載されたりした結果、人々の注目を集めた。 発売後はパーソナルコンピュータの拡販イベントとしては前例を見ない大規模な、東京ドームを借り切ったイベント「電脳遊園地」が開催され話題となる。開催は1989年12月9日〜11日、総経費は約10億円、総入場者数は当初目標の10万人を上回ったとされる。 イメージキャラクタは、南野陽子、宮沢りえ、観月ありさなど人気女性アイドルが代々起用された。これによりポスターやノベルティ類も好評で、商品名の浸透と拡販に貢献した。後期にはタッチおじさんとなった。コマーシャルの楽曲として、ストラヴィンスキーの『春の祭典』やデビュー間もないB'zの『BAD COMMUNICATION』が使用されたことも当時としては斬新で注目を集めた。 ちなみにFM77AVの購買層の移行と取り込みも眼中に置かれ、FM TOWNSの発売とともにFM77AVはFM77AV40SXを最後に販売が打ち切られた。FM77AVのシステム価格帯は20万円台だったが、当時、まだ高価なパソコンにしか採用されていなかった80386を搭載したFM TOWNSでは、発表時の最廉価モデルのシステム価格は40万円を越えた。その価格差からFM TOWNSの販売に併せて旧来のFM77AV購買層を取り込もうとする目論見は失敗に終わった。
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