負傷者や衛生管理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 17:54 UTC 版)
ほとんどの負傷者は転倒による挫傷であり、重傷を負うわけではないものの、毎年200人から300人がエンシエロ中に負傷している。すべての負傷者が病院への搬送を必要としているわけではないが、2013年には50人が救急車でパンプローナ市内の病院に搬送され、この数値は2012年の2倍近くであった。角で突かれることがよく起こるわけではないが、突かれた場合には生命を脅かす恐れがある。2009年は10人、2010年は9人、2011年と2012年は4人、2013年は6人の参加者が祭礼期間中に牡牛に突かれて負傷し、2009年には1人が死亡した。参加者の大部分は男性だが、1974年以来、5人の女性が棒状のもので突かれている。以前は女性の参加が禁止されていた。 負傷者のもうひとつの発生要因は、エンシエロの最終部分である闘牛場の入口付近に参加者が押し寄せることである。この区域は漏斗のように狭まって閉塞が起こり、密集による窒息や転倒による挫傷などの原因となり、また後ろからやってきた牛に突かれることがある。入口付近の閉塞はエンシエロの歴史上少なくとも10回発生しており、最初の閉塞は1878年、直近の閉塞は2013年に起こった。1977年には1人の参加者がこのような閉塞で窒息して死亡した。 1910年に記録が開始されて以来、15人がサン・フェルミン祭のエンシエロ中に死亡しており、彼らの大部分は牛に突かれたことが死因につながっている。負傷の影響を最小限に抑えるため、毎日200人が参加者の救護に協力している。彼らは、平均して50mおきに配置された16か所の救護所に配置され、各救護所には少なくとも医師と看護師が1人ずつ待機している。200人の大部分は主に赤十字社からのボランティアである。救護所に加えて、約20台の救急車が待機している。この組織は牛に突かれた参加者が容体を安定させて10分以内に病院に搬送されることを可能にしている。 サン・フェルミン祭のエンシエロでの死亡事故(1910年以降)#開催年年齢/性別出身地発生場所死因1 1924年 22歳男性 ナバーラ州 テレフォニカ 牛に突かれたこと 2 1927年 34歳/男性 ナバーラ州 パンプローナ闘牛場 牛に突かれたこと 3 1935年 29歳/男性 サン・ルイス・ポトシ パンプローナ闘牛場 牛に突かれたこと 4 1947年 37歳/男性 ナバーラ州 エスタフェタ通り 牛に突かれたこと 5 1947年 23歳/男性 ナバーラ州 パンプローナ闘牛場 牛に突かれたこと 6 1961年 32歳/男性 ナバーラ州 サント・ドミンゴ通り 牛に突かれたこと 7 1969年 45歳/男性 ナバーラ州 サント・ドミンゴ通り 牛に突かれたこと 8 1974年 18歳/男性 ナバーラ州 テレフォニカ 牛に突かれたこと 9 1975年 41歳/男性 ナバーラ州 パンプローナ闘牛場 牛に突かれたこと 10 1977年 17歳/男性 ナバーラ州 パンプローナ闘牛場 将棋倒しによる窒息死 11 1980年 26歳/男性 ナバーラ州 市庁舎前広場 牛に突かれたこと 12 1980年 29歳/男性 エストレマドゥーラ州, バダホス パンプローナ闘牛場 牛に突かれたこと 13 1995年 22歳/男性 イリノイ州 市庁舎前広場 牛に突かれたこと 14 2003年 63歳/男性 ナバーラ州 メルカデレス通り 牛の角が当たったこと 15 2009年 27歳/男性 マドリード州, アルカラ・デ・エナーレス テレフォニカ 牛に突かれたこと
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