エンシエロの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 17:55 UTC 版)
「サン・フェルミン祭」の記事における「エンシエロの歴史」の解説
闘牛の前に牛を囲い場から闘牛場に安全に移動させることが、エンシエロの起源である。19世紀前半まではエンシエロ(牛追い)ではなく、エントラダ・デ・ロス・トロス(牛の入場)と呼ばれていた。闘牛の前を市民が走り始めた時期については定かではないが、1867年頃といわれており、1920年代から1930年代にはランナーの数が増加していった。「(祝祭の)起源に関する記録はないが、その伝統は既に確立されていた」という、1787年に書かれた記録が残っている。現在では1,000人以上がエンシエロに参加している。聖フェルミンを称える歌の伝統は1962年に遡る。 エンシエロはとても危険な行事であり、1925年以来、15人がエンシエロ中の事故で命を落としている。1974年には女性がエンシエロに参加することが禁止された。近年は死亡事故が減少しているが、1995年にはアメリカから参加していた22歳の男性が死亡し、1980年以来15年ぶりの死亡事故となった。2003年には63歳の男性が角でひっかけられて転倒し頭蓋骨を損傷し、3か月弱後に死去した。2009年には14年ぶりに祭礼期間中の死亡事故が発生し、マドリードから参加していた27歳の男性が首や胸などを角で突かれて死亡した。毎年200人から300人が牛追い中に負傷し、もっとも多いケガは転倒による挫傷である。負傷者の約3%は重傷を負っている。
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