議会との度重なる対立とは? わかりやすく解説

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議会との度重なる対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 02:53 UTC 版)

ニューモデル軍」の記事における「議会との度重なる対立」の解説

共和国敵対勢力排除するため、クロムウェル5月平等派弾圧8月ニューモデル軍率いてアイルランド侵略敢行アイルランド・カトリック同盟および王党派各地撃破した。この時軍はアイルランドにいるカトリック勢力への憎悪駆られて悪名高い住民虐殺繰り返し、現在まで続くアイルランド問題発端作った。また侵略兵士未払い給料奪った土地かその証券弁済する側面もあり、土地売買頻繁に行われたが、貧し兵士達安値手早く土地を売るしかなくなり土地富裕層渡り兵士貧困は続くという悪循環陥った1650年5月クロムウェル途中で遠征切り上げ帰国7月からスコットランド遠征第三次イングランド内戦)に出向いた。司令官フェアファクスはスコットランドとの戦争拒否辞職したためクロムウェル司令官となり、彼の指揮下でニューモデル軍9月3日ダンバーの戦い、翌1651年9月3日ウスターの戦い連勝チャールズ1世息子チャールズ2世亡命追いやり内戦終結させた。 だが軍と議会対立続き議会第一次英蘭戦争財政が傾いたため軍の給料減額軍縮進め反発した幹部ランバートトマス・ハリソンクロムウェル解散詰め寄り1653年4月ランプ議会は軍と同調したクロムウェルハリソンクーデター解散された。軍の士官会議7月ベアボーンズ議会開会させたが、この議会も軍への支給減額図ったため12月に軍の圧力解散されランバート中心とした士官会議は『統治章典』を公布、軍を支持基盤置いたクロムウェル護国卿とした政権発足させた。 こうした状況で、軍に再び動揺現れた。兵士バプテストクエーカー信者になり、占領地や軍の統制乱したのであるバプテストは軍幹部アイルランド総督になったチャールズ・フリートウッドの下でカトリック弾圧政策行い占領統治混乱させ、クエーカースコットランドアイルランドで軍内部信者増やし非暴力主義実践して軍に支障きたした前者はフリートウッドと交代したクロムウェル息子ヘンリー・クロムウェルに、後者スコットランド総司令官ジョージ・マンク排斥された。 クロムウェル護国卿就任した後もしばしば軍と議会対立発生した1654年9月召集され第一議会統治章典の項目変更軍統議会固有の権限とするよう主張ランバートら軍幹部属す国務会議クロムウェル反対し、妥協出来ないまま1655年1月議会解散された。8月軍政監設置軍事独裁強まった長く続かず1656年9月第二議会召集される軍事独裁非難され軍政監廃止クロムウェル次第体制安定求め1657年議会彼の国即位提案した際、軍は反対したためクロムウェルは王にはならなかったが、事実上王政に近い体制作る謙虚な請願と勧告』が公布された。それでも体制安定はならず1658年2月議会解散9月クロムウェル死去した。軍はクロムウェル支持勢力であり続けたが、この頃になるとクロムウェル批判的になり反対派移ったハリソンなど軍幹部排除され、後から軍に入った幹部は非政治的な職業軍人占められたため、軍はクロムウェル統制強化され代わりに没個性的職業軍人集団化した

※この「議会との度重なる対立」の解説は、「ニューモデル軍」の解説の一部です。
「議会との度重なる対立」を含む「ニューモデル軍」の記事については、「ニューモデル軍」の概要を参照ください。

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