調査と結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 04:09 UTC 版)
「ティーポット・ドーム事件」の記事における「調査と結果」の解説
1922年4月、ワイオミング州の石油技師が、シンクレアが秘密取引で油田の権利を得たことに怒りジョン・K・ケンドリック(英語版)上院議員に手紙を書いた。ケンドリックは当初対応しなかったが。2日後、1件の調査を請求した。ウィスコンシン州選出の共和党上院議員ロバート・M・ラフォレット・シニアが公共の土地に関する上院委員会による調査を主導した。当初、ラフォレットはフォールの潔白を信じていた。しかし、上院議事堂にある自身のオフィスが荒らされたため、疑いを深めた。 モンタナ州選出の民主党上院議員トマス・J・ウォルシュ(英語版)は、当時最も若年の野党議員であったが、長期間に及ぶ調査を主導した。ウォルシュは2年にわたって調査を続け、フォールは証拠を隠蔽し続けた。賃貸自身は合法であり、違法性の証拠は当初見つからなかったが、記録はなぜか消滅し続けた。フォールは賃貸を合法に見せかけていたが、見返りを受け取っていたことが違法とされた。1924年の段階では、フォールが短期間でどのように富裕となったのかが、疑問として残っていた。 フォールが収賄で受け取った資金は牧場の購入と、他の投資に回っていた。調査の結果フォールの潔白が明らかになりつつあった時、ウォルシュはフォールが隠し忘れていたドヒニーからの10万ドルの融資の証拠を見つけた。 この発見により、スキャンダルへの糸口がつかめた。1920年代を通じて、民事および刑事裁判が継続した。1927年に、連邦最高裁は油田の賃貸権が違法に入手されたと判決を下した。1927年の2月にはエルク・ヒル油田の賃貸を無効にし、10月にはティーポット・ドーム油田の賃貸を無効とした。いずれの油田も海軍に返還された。 1929年、フォールはドヒニーからの収賄で有罪となった。しかし、1930年にドヒニーは贈賄の件で無罪となり、10万ドルの無利子融資の担保としてドヒニーの会社はフォールの自宅の抵当権を得た。シンクレアは陪審員買収の罪で6か月の懲役となった。 この事件の重大な帰結として、1927年に連邦最高裁が議会の強制調査権を認めた。 2015年2月、累計2200万バレルの石油を産出した後、アメリカ合衆国エネルギー省はティーポット・ドーム油田を4500万ドルでStranded Oil Resources Corp.に売却した。
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