誕生と少年時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/26 22:21 UTC 版)
「ピエール・フランソワ・ラスネール」の記事における「誕生と少年時代」の解説
ピエール=フランソワ・ラスネールは、父ジャン=バチスト・ラスネールと母マルグリット・ガイヤールの次男として、1803年12月20日リヨンに生まれた。父は商人で、リヨン市内に店を構えていた。兄は、4歳年上のジャン=ルイだった。ピエールが聡明で勤勉であったのに対し、ピエール曰く兄ジャンは愚鈍で怠惰で浪費家であった。 両親は兄を溺愛し、ピエールに対して冷淡であった。また、この差別的対応を、家を訪ねてくる類親や友人・知人たちにもさせようとした。ピエールはそのことに陰鬱と憎しみを抱いており、特に母親への愛情に飢えていた。 両親は、ピエールが10歳にも満たないうちから彼をリヨンの中等学校の寄宿舎に入れた。その後、ピエールはすぐにサン・シャモン(リヨン南西の街)の中等学校に移り、1816年にアリックス(フランス語版) (リヨン北部の地域) の神学校に入学し、翌年にリヨンの中等学校の寄宿生に戻った。いずれの学校でも、雰囲気を陰気に感じてこれになじめず、孤独を好み読書に耽った。 このころ、好んだのは文学と歴史であった。当時(19世紀前半)の、いわゆるロマン主義文学の作家に関心を示さず、古典的な作品をよく読んだ。やがて彼の関心は文学から歴史書に移行した。理由は、事実に基づく教訓と、そこから得られる人間性への理解を求めたためである。これに対し、ヴォルテール、18世紀の啓蒙哲学書、例えばエルヴェシウス、ディドロなどの著作を全く読まなかった。なぜなら「私自身がつくりあげる体系であり、哲学者たちの著作の中に見出すであろう無数の理論から得た結果ではないような体系」(『回想録』p75)を創造したいと願っていたためである。 ピエールは中等学校で優等賞を何度も受賞した。一方で、今後の人生でずっと抱き続ける、権威や制度に対して異議を申し立てる精神をこのころから持っていた。リヨンでは寄宿生たちを組織して暴動を引き起こし、それが直接の原因となって寄宿舎から追放された。
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