詞と辞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 06:13 UTC 版)
言語過程説による構文論では、文の構成要素を陳述の有無によって「詞」と「辞」に二分した。「詞」は文の素材となるもので、陳述を含まない。これに対して「辞」は素材的なものを含まない純粋に陳述だけを含むものである。この点で辞は純粋な主体的作用の反映であり、形容動詞の否定や敬語の二大別などは、すべてこの「詞」と「辞」の別に基礎を置く。時枝によると、「このような構文論は国学における日本語の研究の流れを汲むものであり、基本的な思想において通じる」という。このような構文論は理論的に一貫しており、また詞と辞の定義も明確であるが、その後、このような詞辞非連続説と、金田一春彦などの詞辞連続説との間の論争を引き起こすこととなる。また、ある意味、時枝の理論構成によって「陳述」というものに明確な定義と、その構文論への反映が行われたことによって、「陳述」という概念そのものに対する反省ももたらすことになる(芳賀綏など)。 文の構造としては、詞を辞がくるんでいる、ちょうど引き出し(取っ手が「辞」)のような構造が基本であり、さらにそれがより大きな構造に埋め込まれる、という階層構造を仮定した。これを「入れ子構造」と呼び、日本語の文の基本的な型式としている。橋本文法における、文節を基本としたリニアな構造に対して、入れ子構造の階層構造は文の分析の妥当性において大きな優位性がある(といったように言われることは多いが、実際には橋本も研究を進めるうちに「連文節」をとなえている。現代言語学の視点から見れば両者のどちらも、言語における句構造規則のようなものを捉えたものである)。例えば「桜の花が」という構造は橋本文法では [桜の][花が] と分析され、文節間の関係については別に様々なものを規定しなければならなかった。これに対し時枝文法の入れ子構造(引き出しの取ってのように書き表されていた辞を、タイプの便宜上「>」で代理させる)では [[桜]の> 花]が> として、特別な関係の規定なしに構造表示できる。入れ子構造は現代言語学で用いられる括弧付けとほぼ等価なものであるが、これは主体による言語過程が再帰的に働くという言語過程説の帰結である。 伝統的な分類で助詞、助動詞とされていたものは「辞」に属し、名詞、動詞、形容詞は「詞」に属する。ただし受動、使役の助動詞は「詞」に属し、否定の助動詞には「詞」に属するものと「辞」に属するものがある。このような構文論への理論適用においては、原則として品詞はすべて詞か辞に属し、また陳述はすべて何らかの品詞に対応するのが理想的であるが、そのようにはなっていない。副詞は詞と辞が合わさったものと考えられ、詞である動詞で文が終わっている構造については形態をもたない「零」の辞が仮定された。 演繹法による理論構築を帰納法(不完全帰納法)によるものより方法論的に優位とする点、一言語を深く探求すると言語の普遍性に到達できるとする点は、発表当時は受け入れられない考え方であったが、現代的観点からは科学的方法として優れていた、と見ることができる(ただしこのことが時枝によって徹底されていたか、という問題とは一応別である)。 時枝が現象学に関心があったことはよく知られており、言語過程説には現象学の影響が見られる。
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