親衛隊員の入隊の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:20 UTC 版)
「親衛隊 (ナチス)」の記事における「親衛隊員の入隊の流れ」の解説
親衛隊の採用基準は特にナチス党政権掌握後から第二次世界大戦開戦前までに厳しかった。親衛隊員となるためにはまず親衛隊人種及び移住本部 (RuSHA) の人種委員会の選考を通る必要があった。人種委員会には以下のような人種観があった。 純粋北方人種 圧倒的に北方人種であるかファーレン人種 基本的に先の2つの人種だが、それにアルプス山地人種、ディナール人種(南欧)、地中海人種が少し混じっている人種 東方(=東欧)系。もしくはアルプス系混血 ヨーロッパ人以外の外人種との混血 このうち親衛隊員として選考対象になりうるのは1と2、少なくとも3までとされていた。さらに身長が最低170センチ(親衛隊特務部隊は更に4センチ加算)、上限30歳(特務部隊は23歳)、体格といった基準があった。血統が1650年辺りにまでアーリアの祖先を遡れる事、などの基準もあったが、この基準は厳しすぎたため、1936年に「1800年」に引き下げられ、さらに1937年には二代前まで引き下げられている。 親衛隊ではこうした人種的、肉体的採用基準のみが重視され、一般的な組織における採用基準となりやすい知的能力については何の基準も存在しなかった。採用試験に合格した後も親衛隊候補生 (SS-Anwärter) として訓練と試験が行われた。11月9日のミュンヘン一揆記念日に襟章なしの親衛隊制服の着用を許され、志願兵として認められた。続いて1月30日のナチス党政権掌握記念日に仮隊員証が授与された。そして4月20日の総統誕生日に正式に入隊宣言とともに襟章と正式な隊員章が授与された。その際の入隊宣言は次の通りであった。 私はドイツ国首相たるアドルフ・ヒトラーに忠誠と勇気を誓う。私は総統と総統に任命された上官に生涯の服従を誓う。神のご加護のあらんことを。 この後、10月1日の正式入隊日までにドイツ国家スポーツ記章 (Deutsches Reichssportabzeichen) を授与され、さらに教義問答を受ける必要があった。次のような問答であった <問>何故我らはドイツを信じ、総統を信じるのか?<答>我らが神を信じるからである。ドイツは神によって神の地に作られた国家であり、総統アドルフ・ヒトラーは神が我らにつかわした人だからである。<問>我らは誰のために働くのか?<答>我が国民と総統アドルフ・ヒトラーのためである。<問>我らは何故服従するのか?<答>我らの信念ゆえに。ドイツ・総統・国家社会主義運動・SSを信じるゆえに。また我が忠誠ゆえに。 10月1日の入隊後、国防軍での訓練期間を経ることになる。国防軍での成績が良好の場合、一か月以内に親衛隊に編入された。二度目の11月9日には自分と自分の子孫が1931年12月31日に制定された親衛隊の結婚条例(親衛隊全国指導者もしくはRuSHAが許可した「人種的に問題がなく、また遺伝的な病気のない健康的血統」の女性とのみ結婚すること)を守ることを宣誓した。この宣誓をした隊員にはようやく「Meine Ehre heißt Treue(忠誠こそわが名誉)」の文字の入ったSS短剣が授与されるのであった。
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