親衛隊士官学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 17:41 UTC 版)
「親衛隊士官学校(SS-Junkerschule)」は当時の国防軍の士官学校をモデルにしたものであり、第二次世界大戦中、武装親衛隊(Waffen-SS)の下級将校を養成する機関となっていた。カリキュラムには、戦術、地形と地図の研究、戦闘訓練と武器を用いた訓練、一般的な訓練(射撃、砲術)、思想教育、陸軍勤務、親衛隊・警察勤務、管理、身体訓練、兵器訓練、工兵技術、情報、戦車の操縦訓練、車両訓練、医療、パイロット教習、一般作業、ドイツ語などの科目が含まれていた。 SS士官学校の前身は、親衛隊特務部隊(SS-Verfügungstruppe)の指導者学校(Führerschulen)であり、1校目は1936年の秋にフェリックス・シュタイナーの指導のもとバート・テルツ(de)に、2校目は1937年の夏にパウル・ハウサーの指導のもとブラウンシュヴァイクに設立された。また、1938年の夏よりハウサーは士官学校の校長を兼任し、運営の効率化を図っている。 1937年8月8日、指導者学校は正式に「親衛隊士官学校(SS-Junkerschule)」と改称され、1940年6月からは親衛隊髑髏部隊(SS-Totenkopfverbände)、各親衛隊本部(SS-Hauptämtern)、親衛隊特務部隊は統合され、SSの包括的な再編の一環として「武装親衛隊(Waffen-SS)」が発足した。1943年の夏、クラーゲンフルトに3つ目の士官学校が開設され、1944年6月1日に「クラーゲンフルト親衛隊兵器及び士官学校」と改称された。テルツ士官学校とともに、外国人の候補者を養成する役割も担っており、クラーゲンフルトの士官学校では所謂「外人義勇部隊」の訓練を担っていた。1944年の春には、「プラハ=デヴィッツ(de)親衛隊士官学校(SS-Junkerschule Prag-Dewitz)」が設立された。
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