西鉄成立から昭和30年代までとは? わかりやすく解説

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西鉄成立から昭和30年代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 19:09 UTC 版)

西鉄福岡市内線」の記事における「西鉄成立から昭和30年代まで」の解説

西鉄成立当時福岡市内線車両はすべて2軸車大半木造車)であり、輸送力増強急がれた。そのため1943年昭和18年)に大牟田市内線用として製造されボギー車200形のうち9両を福岡市内線一時的に配置している。続いて2軸車改造名義501形551ボギー車発注したが、これらは戦時下のため落成が遅れ、戦後1946年昭和21年)から使用開始した。また1947年昭和22年)には北九州線100形を3両転属させ300形として使用した1948年昭和23年)に2軸車のうち状態が良く当面使用する70両を1 - 70改番(他の2軸車それまで廃車)。同年から3年間にわたり501形551形とほぼ同形態の561ボギー車48新製し、1950年昭和25年)からは北九州線から1形35形木造ボギー車56両を転属させた。さらに北九州線採用した連接車改良型1954年昭和29年)からは福岡市内線にも投入している。この一連の車両新製転属により営業運転用の2軸車同年中に全廃された。 また同じ1954年昭和29年)には宮地岳線西鉄博多(→新博多改称) - 西鉄多々良(→競輪場前改称)間(軌間 1,067 mm直流1,500 V、単線)を福岡市内線と同じ軌間1,435 mm改軌架線電圧直流600 Vに降圧複線化したうえ、営業取り扱い上は福岡市内線編入している。 1961年昭和36年)には貨物線築港線休止となった。同線は国鉄(主に篠栗線勝田線)の貨車石炭車)を吉塚駅から博多築港直通させ、博多築港への石炭輸送を行うことを目的として敷設され貨物線であり、専用電気機関車貨車牽引していたが、博多臨港線開業延長により国鉄経由博多港への貨物輸送が可能となったため輸送量減少していた。 1963年昭和38年12月1日国鉄博多駅が約600 m南東移転した当初福岡市内線移設されず、馬場新町電停そばの西鉄バス博多発着所から(新)博多駅前広場臨時バスターミナルへの電車連絡バス運行することで対応したが、7か月後の翌1964年昭和39年7月1日に(新)博多駅前を通る新線開業した旧線もしばらくは営業続けられたが、同年12月7日廃止されている(昭和38年豪雨柳橋道路橋崩落したので、その再建まで営業続けた)。

※この「西鉄成立から昭和30年代まで」の解説は、「西鉄福岡市内線」の解説の一部です。
「西鉄成立から昭和30年代まで」を含む「西鉄福岡市内線」の記事については、「西鉄福岡市内線」の概要を参照ください。

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