西洋のたとえ話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 16:55 UTC 版)
英語の「parable」など、多くのヨーロッパ諸語でたとえ話に相当する言葉は、ギリシア語の「παραβολή (パラボレ)」に由来しているが、この言葉はギリシアの修辞学においては、架空の短い物語で何かを説明することを広く意味していた。後年になると、この言葉は、架空の物語によって、現実に自然な形で起こるかもしれないことについて、霊的な事柄や道徳的な事柄が伝えられることを意味するようになった。 たとえ話(parable)は、短い話で普遍的な真理を説明するものであり、物語の中でも最も単純なもののひとつである。たとえ話においては、まず状況が簡単に説明され、次に行動が描写され、最後にその結果が示される。しばしば、道徳的なジレンマに直面する人物や、危うい判断をした末その結果に苛まれる人物が登場する。寓話と同様に、たとえ話でも、主題と無関係な細部や散漫な周辺描写は省かれ、通常はひとつの単純で一貫性のある行動について話が語られる。たとえ話の例としては、イグナツィ・クラシツキ作の「息子と父親」、「農夫」、「訴訟人たち」が挙げられる。 民話の多くも、たとえ話を拡大したものと見なすことができ、おとぎ話も同様であるが、状況設定で魔法が前提とされるところは異なる。プロトタイプのたとえ話はアポローグ(誇張を含む短いたとえ話)とは異なり、写実主義的で、人生のよくある状況の中で実際に起こるかもしれないと思わせるものである。 たとえ話は、メタファー(隠喩)と同様に、短い一貫した架空の物語に拡張される。キリスト教のたとえ話は、近年では拡張されたメタファーとして研究されている。それを担っているのは、例えば、「たとえ話とは、普通の男女が、日常的な生活の中で、驚くべき出来事に遭遇するという筋の話のこと」だと気づいた書き手である。たとえ話は宗教的な展望をもった「信仰の巨人たち」についての話ではない"。言うまでもなく、「拡張されたメタファー」であるというだけでは、たとえ話を説明したことにはならないが、「拡張されたメタファー」の特徴は、たとえ話にも共通しているし、アレゴリー(寓意)の基本的要素になっている。 直喩の場合とは異なり、たとえ話においては、表面上の物語と平行するもうひとつの意味は、通常は秘密として隠されている訳ではないが、直接語られることはなく、示唆されるだけである。たとえ話の特徴は、人がいかに振る舞うべきか、信じるべきかを示唆する規範的なサブテキスト(いわゆる「行間」のメッセージ)が存在していることにある。たとえ話には、人生の中で適切な行動とは何かを導き、示唆することに加え、頻繁にメタファーな言葉遣いを用いることで、難しかったり複雑であったりする概念を、より簡単に論じることができるようにする働きがある。プラトンの『国家』では、「洞窟のたとえ」(真理の理解について、洞窟の壁に投じられた影に欺かれる話によって、説明される)のように、分かりやすい具体的な物語を使って、抽象的な議論を教えている。 『イソップ寓話』を英訳したジョージ・ファイラー・タウンゼントは、その序文で「たとえ話 (parable)」を「言葉自体に込められた意味とは異なる、隠された秘密の意味を伝達することを意図して、言葉をデザインしながら用いることであり、聞き手や読者に特段の関わりをもっていることもあれば、そうではないこともあるもの」であると述べている。 19世紀末を生きたタウンゼントは、曖昧であることを意味する、当時あった「to speak in parables (たとえ話で話す)」という表現に、影響されていた可能性もある。はっきりと重要性が指摘されているわけではないが、現代の用法における「たとえ話 (parable)」は、一般的に、意味が隠されたり秘密にされているというよりは、全く逆に直截的で明白である場合が典型的である。隠された意味が重要になる典型的な表現は、アレゴリーである。H・W・ファウラーは『Modern English Usage』の中で、たとえ話もアレゴリーも、目的は「聞き手に、当人には直接の関わりがない、したがって利害に関わらない立場からの判断を引き出すことが期待できるような事案を提示し、聞き手自身が正しい判断を悟るよう啓蒙する」ことであると述べている。その上でファウラーは、たとえ話は、アレゴリーよりも濃密であり、読者なり聞き手には、この結論は当人の関心事にも同じように当てはまるのだ、という原理が生まれ、教訓が演繹されるのだとしている。
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