西友の資本参加
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1991年2月に株式会社西友から10%程度の資本参加を受け、経営、人事、商品施策など全般にわたる業務提携の調印を発表した。当時、東北地方における西友の店舗は、百貨店業態で運営していた郡山西武店(福島県郡山市)のみであったが、この提携により西友は東北における本格進出への端緒を得た。これに基づき、同年3月20日には会社分割により経営を引き継ぐ新法人としてエステートエンドーを発足させた。 1991年5月に最初の再建計画が明らかとなり、当時運営していた44店舗(宮城県36店舗、岩手県6店舗、福島県2店舗)中、仙台駅前店とそれ以外の店舗の運営を分離することとなり、仙台駅前店は西友本体が運営し、30店舗(宮城県28店舗、岩手県は花巻店のみ、福島県は保原店のみ)はエステートエンドーの運営で存続することになった。残る13店舗(宮城県は7店舗、岩手県は盛岡市内4店全店と北上店の5店舗、福島県は福島駅前店)は1991年中に閉店することになった。同年8月にはエステートエンドーの社長に西友元常務が、会長に遠藤養一がそれぞれ就任した。同年9月1日、エンドーチェーンが「エステートエンドー」に、新会社のエステートエンドーが「エンドーチェーン」にそれぞれ商号を変更した。 西友の資本参加と同時に、西友のノウハウを取り入れマーチャンダイジングの強化、取引改善、物流システムの再構築に当たったほか、若手社員を西友に2年間にわたりトレーニーとして派遣する制度も実施された。1992年には2度目の再建計画が発表され、宮城県内では駅前に立地する店舗を中心に半数近い店舗が閉鎖、岩手県では花巻店の閉店に伴い完全撤退し、食品スーパー専業へ転換した。これにより総合スーパーの店舗は西友に譲渡された。 1991年11月3日、西友 が基幹店であった仙台駅前店を、1991年9月1日付で賃借・営業譲渡した上で「SEIYO(セイヨー)仙台店」として営業を開始した。これによって8階以上は閉鎖され、ファッション部門以外では、ゲームセンター、地下一階の食料品売場を残しを売り場を減床した。また、この名称変更の際、仙台駅前店の一室に保存されていたエンドーチェーンとしてのイベント・宣伝等の貴重な資料は、その大部分が散逸してしまった。なおSEIYOは、1997年9月19日にザ・モール長町が開業するため、西友がそちらの運営に傾注したいとの意向から、同年7月31日閉店。跡地には同年11月28日、エステートエンドーが運営するテナントビル「EBeanS(イービーンズ)」として衣替えて再オープンした。 1997年には、西友の資本参加を得てスーパー部門を「株式会社エンドーチェーン」(後の株式会社東北西友)として分離し、本体は仙台駅前店のビルを管理する不動産部門となり「株式会社エステートエンドー」と社名変更した。 2001年(平成13年)6月1日、株式会社エンドーチェーンは株式会社東北西友に社名変更し、同年4月25日に開店した宮城野原店で店名も全店西友へ統一された。なお、西友本体の直営店であるザ・モール仙台長町店と区別するため、東北西友の店舗にはその後「THE FOOD FACTORY」のロゴを併記している。 2003年6月1日に「株式会社エステートエンドー」は「株式会社エンドーチェーン」へ社名を戻した。またEBeanSの屋上看板もお色直しされ、「EBeanS」の下に「エンドーチェーン」というロゴが設置され、9年ぶりに表記が復活し話題を呼んだ。
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