西友運営の百貨店業態・西武店
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「リヴィン」の記事における「西友運営の百貨店業態・西武店」の解説
西武流通グループ(後のセゾングループ)に属していた西友(当時の西友ストアー)は、1970年代前半に全国の地方都市に大型店を出店した。しかし地方都市などでは、GMS(総合スーパー)業態ではなく、百貨店業態としての出店を要望する声があった。また地域により出店状況や競合関係などが異なるにもかかわらず、画一的なチェーンストアとしての出店が取られたこともあり、あまり成功していなかった。 こうした状況を改善するため、1976年(昭和51年)6月の常務会にて、同じグループの西武百貨店の店舗ノウハウを吸収し、店長予定者を西武百貨店の地方店へ、またバイヤーを西武百貨店の商品部へ出向させるなど、西武百貨店との人事交流を行うことが提案された。そこで、西武百貨店から「西武」のブランドと意匠を借り、地方百貨店型の店舗として出店を開始した。 その結果、1975年(昭和50年)8月には旭川西武店、1976年(昭和51年)7月には富山西武店が開店し、西友からは上田店・前橋店・郡山店などが西武ブランドの百貨店業態に転換。藤沢西武店や甲府西武店は、他社の地方百貨店を買収する形で開店した。 西武百貨店と同一の制服や包装紙を採用するなどして高級感を演出し、実際に百貨店級の商品を扱ったりするなどの戦略により各地で展開した。西武百貨店とセゾングループのブランド力、さらに駅前の「箱モノ」として集客力を買われ、新しい街のシンボルとして歓迎されたこともあり、全国に西武網ができあがった。1980年(昭和55年)9月からは各店舗ごとの運営から、本社内に新設された百貨店事業部へ移管された。 主に駅前立地型の多層階店舗が多かったが、光が丘西武店(1987年)や春日井西武店(後のザ・モール春日井の核店舗)などの郊外型店舗もあった。姫路西武店や小倉西武店など、西友が運営する大型ショッピングモール「ザ・モール」内の核店舗として出店した店舗もあった。 1994年(平成6年)2月16日には、西武店を運営する百貨店事業部と大型店事業部が統合して「SEIBU事業部」が発足した。同時に仕入れも各西武店舗での個別仕入れから、西友店舗と同じ仕入れに切り替え、商品構成もGMSと百貨店との中間グレードを狙った店舗を目指した。同年4月21日にはその一環として、ザ・モール姫路の核店舗に姫路西武店を出店、6月9日にはプラッツ大泉の核店舗でGMS店舗の西友オズ大泉店を、オズ大泉西武店へ業態転換させた。
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