西友大分店の開店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 05:37 UTC 版)
大分市は、1964年(昭和39年)に新産業都市に指定され、大分臨海工業地帯に企業が進出したことから、昭和40年代に人口が急増した。これに伴って、大分駅前の市街地には長崎屋(1971年(昭和46年))、大分ジャスコ、ニチイ、ダイエー(以上、1973年(昭和48年))といった中央資本の総合スーパーが相次いで進出し、激しい競争を繰り広げた。 このような過当競争とも言うべき状況の中で最も遅く1974年(昭和49年)に大分市に進出して来たのが西友であった。西友が出店したのは、大分市の目抜き通りである中央通り沿いのかつて辰野金吾設計の日本銀行大分支店があった場所で、しかも、地元で圧倒的な人気を有する百貨店トキハと大分駅との中間という好条件の立地であった。しかし、地の利がありながら、最後発であったことも災いして顧客を開拓することができず、営業的に苦戦を余儀なくされた。
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