衛星ヴァンフリート4=2の戦い
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「銀河英雄伝説の戦役」の記事における「衛星ヴァンフリート4=2の戦い」の解説
宇宙暦794年/帝国暦485年4月6日~。グリンメルスハウゼン艦隊所属の陸戦隊将官リューネブルク(同盟からの逆亡命者、元ローゼンリッター連隊長)准将が指揮し、ラインハルトが副将としてその部下にされた帝国軍陸戦隊と、衛星ヴァンフリート4=2に建設された同盟軍後方基地守備隊との戦い。 元々はミュッケンベルガーがグリンメルスハウゼン艦隊を厄介払いするためにヴァンフリート4=2に後方基地設営を命じたのだが、同衛星には既に同盟軍が駐屯していた。ラインハルトは通信の解析結果から同盟軍の存在を予測し、ヴァンフリート4=2の偵察活動を提案するも、事なかれ主義が蔓延していたプフェンダー以下グリンメルスハウゼン艦隊参謀陣に反対される。しかし、同艦隊所属の陸戦部隊司令官リューネブルク准将がラインハルトの意見に賛同したはいいが指揮権を横取りし、ラインハルトは怒りと屈辱を抱いたままリューネブルクの下で働かされることになった。 一方、帝国軍の来襲を知った同盟軍基地司令セレブレッゼ中将は同基地に駐屯していたローゼンリッター連隊に偵察を命じた。副連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ中佐は藪蛇を危惧してこれに反対するも、功を焦る連隊長ヴァーンシャッフェ大佐は自ら装甲車で出撃し偵察を強行した。その数時間後にはシェーンコップもリンツらを引き連れて出撃している。やがて両軍は互いに敵軍を捕捉するも、リンツが「敵はこちらより一桁は多い」と述べたように帝国軍が数で上回り、同盟軍は撤退にかかった。しかし、シェーンコップたちのかつての上官リューネブルクはかつての部下たちの行動を読み、撤退ルートの途上に装甲車を配置して待ち伏せた。戦闘では帝国軍が圧倒し、同盟軍は装甲車7台中4台が破壊もしくは大破し数十名の戦死者が生じた。連隊長ヴァーンシャッフェ大佐も重傷を負い、基地に帰還後に死亡している。一方帝国軍は戦死者はおらず軽傷が数名のみであり、この遭遇戦は帝国軍の勝利に終わった。 その後、帰還したリューネブルクは敵の存在を報告すると共に同盟軍基地の攻略を提案し、それを承認したグリンメルスハウゼンは主将をリューネブルク、副将をラインハルトとする陸戦隊を派遣した。一方、同盟ではシェーンコップは死亡したヴァーンシャッフェの代理(連隊長代理)に任命され、ローゼンリッターの指揮を執ることとなった。 基地攻防戦ではシェーンコップをはじめとする各陸戦隊の勇戦や、後方基地のため豊富に備蓄された火器、渓谷の出口にあり帝国軍が大軍を展開できない地の利等により同盟軍が帝国軍を何度か撃退していた。しかし、戦闘では素人であるセレブレッゼが指揮系統を放射状に広げた一方で、有線ミサイル車を巧みに運用したリューネブルクの指揮等によりやがて同盟軍の防衛線が突破され帝国軍は基地内に突入、同盟軍も少なくない犠牲を払った。当時のシェーンコップの愛人であるフィッツシモンズ中尉もこの時戦死している。 やがて前進したリューネブルクは、かつての部下であるデア・デッケンと遭遇、交戦する。その報を聞いたシェーンコップはデア・デッケンを助けリューネブルクと決着をつけるべく基地内を駆け抜け救援に向かった。その途中で基地に突入したキルヒアイスと戦っており、両者は互角の戦いを繰り広げるが決着はつかなかった。なお、互いに装甲服を着用し顔が見えなかったため、彼らは互いの正体を知ることはできなかった。シェーンコップはキルヒアイスに名を尋ねているが、答える寸前に爆発に遮られ、両名共にその場を離れている。 シェーンコップはデア・デッケンとリューネブルクが戦っていた場所に到着するが、デア・デッケンはすでに息絶えていた。悲しむシェーンコップにリューネブルクが襲い掛かり勝負は一進一退のまま決着はつかなかった。 ほぼ同時刻、乱戦の最中においてラインハルトとキルヒアイスは、偶然出くわした同盟後方部隊の総司令官であるセレブレッゼ中将を捕虜にするという、本人たちにも意外な手柄を立てた。また同盟軍守備隊の発した救援要請を受けたアレクサンドル・ビュコック中将率いる同盟軍第5艦隊がヴァンフリート4=2上空に到着。グリンメルスハウゼン艦隊はあわてて陸戦を中断して避退し、戦いはうやむやのうちに死傷者の山と生存者の憤懣だけを残して終わった。
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