行司の休場
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24代木村庄之助 1963年9月場所3日目~12日目、右顎関節打撲のため休場した。 25代式守伊之助 1987年5月場所6日目~9日目、風邪を引いて声が出なくなり休場。 1990年1月場所5日目~7日目、風邪を引いて声が出なくなり休場。 29代式守伊之助 1997年9月場所には4場所連続4回の差し違えにより10日目より3日間の謹慎休場。1997年の謹慎休場は1972年3月場所の22代伊之助以来25年ぶりのことであった。 1998年11月場所6日目、土俵上の前頭筆頭魁皇ー大関武蔵丸戦の取組で土俵から落ちた魁皇の下敷きとなり左手首を骨折、翌日から休場。 1999年1月場所、先場所の怪我で全休。 1999年9月場所、体調不良で全休。 2000年1月場所初日 - 3日目、前年の年間3回の差し違えで謹慎休場となった(その後肝機能障害、糖尿病で休場)。 木村一童 1999年~2000年は脳梗塞で数場所休場した。 2002年9月場所2日目の旭鷲山 - 安芸乃島戦で逃げ場を失い土俵下に転落した際、客席の仕切りに顔を強打し瞼を切り流血。土俵に上がれず退場し、翌日より休場した。 2003年1月、3月、5月、9月、11月場所を体調不良で休場。 2004年3月場所を体調不良で全休。 2006年1月場所2日目、腰椎を痛めてしまい翌日から休場。 10代式守錦太夫 2001年7月場所3日目、前頭7枚目玉乃島-同5枚目隆乃若戦で、隆乃若が寄り切りで勝った際に、錦太夫は逃げ場を失い、両力士の下敷きになって土俵下に転落、右足かかとを粉砕骨折し全治3ヶ月の重傷を負い、休場。 2005年5月場所3日目、土俵下で控えていた際、力士が転落して衝突し足を骨折、担当の2番は裁いたが翌日より休場した。 木村咸喬 2003年3月場所、1月場所中の怪我で休場。 4代木村正直 2009年5月場所3日目の前頭4枚目阿覧-同3枚目豊ノ島戦の取組中に右下腿部挫傷を発症し、休場届を提出した。 2010年9月場所から2011年1月場所まで3場所を肝細胞がんの治療のため休場した。 2012年11月場所、肝細胞がん術後再発、多発性転移性骨腫瘍(しゅよう)、肝不全、全身浮腫で入院治療が必要と診断され、10日目より休場。 2013年1月場所も肝細胞がん術後再発、多発性転移性骨腫瘍、肝不全、全身浮腫で初日より休場し、療養に努めていた。 16代木村玉光 2009年11月19日の5日目より日本相撲協会に 「右第9肋骨(ろっこつ)骨折にて3週間の安静治療が必要」 との診断書を提出して休場した。 2010年7月12日の2日目より 「右足リスフラン関節脱臼骨折にて約20日間の休養加療を要する」 との診断書を提出し休場。 2012年2月より脳梗塞の治療のため、同年3月場所から2013年1月場所までの6場所の間休場していた。 2014年7月場所14日目から左足甲を痛め、休場した。 2014年9月場所、ケガのため全休した。 2014年11月場所、ケガのため全休した。 2015年1月場所、ケガのため全休した。 10代式守与之吉 2018年1月場所から9月場所まで5場所をギラン・バレー症候群の治療のため休場した。 6代木村玉治郎 大相撲令和元年7月場所、腰椎椎間板ヘルニアの為初日から千秋楽まで休場した。
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