行司論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/20 14:09 UTC 版)
「木村庄太郎 (15代)」の記事における「行司論」の解説
いつまでも1つの取組を覚えていると次の取組で力士の名前を間違える恐れがあるので、1度裁いたらその取組のことは忘れるように気持ちを切り替える。そのため、その場所では覚えていても何十年先も覚えていることはなく、思い出の取組のようなものは庄太郎の記憶には残っていない。 差し違えなどについては、よほど自信があったのに逆の結果になったら落ち込むが、なかなかそうはいかないので「人間には間違うこともあるさ」と割り切っている。 庄太郎は同じ装束を2日続けて着ないようにしている。 東西を間違えるといけない、貴賓席に尻を向けるのは失礼、などの理由で正面はなるべく回らないようにしており、避けるために仕方なく逃げる時にもすぐに向正面に戻るようにしている。 取り組みで一番注視するところは力士の立合いであり、手を付くかどうかよりも力士の呼吸が合っているかどうかを重視する。ただ、手を付く動作すらしない場合は流石に待ったをかける。ただ近年では、両方の手を付いていないと待ったをかけるようになった。 。 「負けを発見する」ことが行司の仕事なので、廻しよりも下しか見ずに手や足が地面に付いたか、土俵から出たかを見つけることにしている。
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