式守伊之助 (43代)とは? わかりやすく解説

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式守伊之助 (43代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 15:16 UTC 版)

43代式守伊之助
Shikimori Inosuke XLIII
基礎情報
行司名 木村春男
→ 木村春夫
→ 4代木村善之輔
→ 15代木村庄太郎
→ 43代式守伊之助
本名 もりた よしみつ
 森田 善光
生年月日 (1963-09-12) 1963年9月12日(61歳)
出身 日本神奈川県横浜市鶴見区
所属部屋 春日野部屋
データ
現在の階級 立行司
最高位 立行司
初土俵 1979年9月場所
幕内格 2006年3月場所
三役格 2015年5月場所
立行司 2025年1月場所
備考
2024年12月23日現在

43代 式守 伊之助(よんじゅうさんだい しきもり いのすけ、本名:森田 善光(もりた よしみつ)、1963年9月12日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身で春日野部屋所属の大相撲立行司血液型A型自身が幕内格以降全ての優勝決定巴戦を合わせているので巴戦の伊之助と呼ばれている。[誰によって?]

人物

小学生の時は漫画、中学生の時はバスケットボール観戦を趣味としていたが、祖父の影響を受けて相撲が好きになった。小さい頃から一番背が低く、学校の背の順でもいつも一番前であった。スポーツは好きであったが、背の高い子にはなかなか勝てなかった。「あの長島ですら審判なら退場にすることができる」と言う理由から中学時代から力士ではなく行司に憧れており[1]、「第27回NHK紅白歌合戦」で26代木村庄之助を見たことにより行司を志す[2]。高校を1学期で中退して入門し[3]春日野部屋から1979年9月場所に初土俵。行司の師匠は共に同部屋の当時6代木村庄二郎(のち26代式守伊之助)と14代木村庄太郎(のち27代式守伊之助)である。

1995年3月場所より、立行司に昇格した同部屋の29代式守伊之助が名乗っていた名跡を継いで4代木村善之輔を襲名、2006年3月場所に幕内格行司へ昇格した後、2007年1月場所に27代式守伊之助が立行司に昇格するまで名乗っていた名跡を継ぎ、15代木村庄太郎を襲名した。2015年5月場所に三役格行司に昇格[4]。木村庄太郎の名跡で三役格に昇格するのは、1984年1月場所に昇格した14代庄太郎(のちの27代式守伊之助)以来31年ぶりとなった。

長らく場内アナウンスも担当している。

2018年7月場所の土俵祭では、立行司が正式に空位となったため、祭主を務めた。(2018年1月・3月・5月場所は三役格行司の筆頭である11代式守勘太夫が祭主を務めた。次期伊之助襲名者が出るまでの間は、三役格行司が祭主を務める。)立行司空位時の三役格行司が土俵祭を執り行うのは、1993年11月場所限りで28代庄之助が停年退職し、立行司が空位(1994年1月・3月場所)となって以来である。

2024年9月26日の日本相撲協会理事会で、2025年1月場所番付発表日の2024年12月23日付で立行司に昇進し、43代式守伊之助を襲名することが承認された[5]

行司論

  • いつまでも1つの取組を覚えていると次の取組で力士の名前を間違える恐れがあるので、1度裁いたらその取組のことは忘れるように気持ちを切り替える。そのため、その場所では覚えていても何十年先も覚えていることはなく、思い出の取組のようなものは庄太郎の記憶には残っていない[1]
  • 差し違えなどについては、よほど自信があったのに逆の結果になったら落ち込むが、なかなかそうはいかないので「人間には間違うこともあるさ」と割り切っている[1]
  • 庄太郎は同じ装束を2日続けて着ないようにしている[1]
  • 東西を間違えるといけない、貴賓席に尻を向けるのは失礼、などの理由で正面はなるべく回らないようにしており、避けるために仕方なく逃げる時にもすぐに向正面に戻るようにしている[1]
  • 取組で一番注視するところは力士の立合いであり、手を付くかどうかよりも力士の呼吸が合っているかどうかを重視する。ただ、手を付く動作すらしない場合は流石に待ったをかける。ただ近年では、両方の手を付いていないと待ったをかけるようになった[1]
  • 「負けを発見する」ことが行司の仕事なので、廻しよりも下しか見ずに手や足が地面に付いたか、土俵から出たかを見つけることにしている[1]

略歴

その他

  • 先代の木村庄太郎は1992年11月場所から27代式守伊之助を襲名し、以降木村庄太郎の名跡は空いたままとなっていたため、実に14年ぶりの襲名者ということになる。
  • 現役の十両格以上の行司の中では唯一の瓢箪形軍配の使い手である[6](幕下格以下では式守一輝が瓢箪形軍配を持っている)。このほかに庄太郎代々の譲り団扇も預かっていて、こちらは卵型で黒漆を塗っただけの無地。「黒は何にも染まらないため公平な心で裁く」[7]という意味が込められている。
  • 幕下格時代に結婚した妻は、当時の春日野親方(横綱・栃錦)の養女(春日野夫人の姪)。
  • 2025年7月場所4日目、豊昇龍阿炎で、土俵際でもつれた際、豊昇龍に軍配を挙げたが、物言いがつき、豊昇龍の左踵が蛇の目についたかどうか協議された結果、踵がついており、立行司として行司軍配差し違えとなり、阿炎の勝ちとなった[8]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『大相撲ジャーナル』2019年3月号 pp.50-52.
  2. ^ 村田英雄「男の土俵」の間奏部で、停年(定年)退職直後の26代庄之助が登場し、村田に勝ち名乗りを上げた。
  3. ^ 「大相撲の行司さんを目指したきっかけは?」「どうすればなれる?」現役の行司さんに聞いてみた - Number web
  4. ^ 横綱審議委員会、新委員に山内昌之氏と都倉俊一氏 日刊スポーツ 2015年3月15日(2015年3月15日閲覧)
  5. ^ 来年初場所から再び木村庄之助、式守伊之助の立行司2人体制 現伊之助と庄太郞の昇進決定」『日刊スポーツ』2024年9月26日。2024年9月26日閲覧。
  6. ^ 瓢箪軍配 今や一人だけ - 朝日新聞デジタル
  7. ^ 『知れば知るほど行司・呼出し・床山』p.31
  8. ^ 43代式守伊之助が阿炎-豊昇龍の一番で軍配差し違え 八角理事長に進退伺いを申し出るが慰留 日刊スポーツ 2025年7月16日 22時37分

参考文献

  • 「相撲」編集部『知れば知るほど行司・呼出し・床山』2019年5月15日発行、ベースボール・マガジン社 ISBN 978-4-583-11204-6

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