行商から松前出店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:40 UTC 版)
「西川傳右衛門 (初代)」の記事における「行商から松前出店」の解説
傳右衛門、諱は正隆と称した。少年の頃から父にならって行商に出、6百匁を元手とし越後を中心に荒物(箒・塵取りなどの簡単な家庭用品)・菓子を取り扱い、利益を得てから商品を呉服太物に変え北陸地方から奥羽方面へと行商先を広げた。偶々、越後において蝦夷松前での行商に利があることを聞き、慶安3年(1650年)蝦夷の福山(現松前町字福山)・江差(現檜山郡江差町)・箱館(現函館市)への行商を始め、上方の産物を販売した結果数年で巨利を得るに至った。 『惣記事概略(滋賀大学経済学部附属資料館保管西川傳右衛門家文書)』によれば、『慶安年間(1648年-1651年)商業の為渡島国津軽郡福山に渡来し、松前藩家老職である下国安芸守の周旋により小松前町に商店を開き、これを住吉屋傳右衛門と呼んだ』と記載されている。なお、慶安年間下国安芸は既に老職(家老)の職にはおらず、元家老職であったのではないかとも言われているが、いずれにせよ傳右衛門は下国安芸と言う松前藩有力者の力添えで松前に出店し、そのことを深く感謝し、国構えの中に一(下の字の第一画)の字を記した商標(ナカイチと呼ばれている)は下国安芸への謝意を表したものと言われている。
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