行司家と行司名とは? わかりやすく解説

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行司家と行司名

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:46 UTC 版)

行司」の記事における「行司家と行司名」の解説

行司は各相撲部屋所属しているため、一門部屋ごとでそこに属す行司木村家式守家であるかが決まっている。そのため、入門した時点木村家名乗る式守家名乗るかは事実上決定している。 入門後に家名変えることも可能であるが、伝統重んじる角界では家名変えることを(立行司名である式守伊之助木村庄之助への昇進除いて慣例的に行わない入門する下の名前としてはまず自分本名名乗ることが多いが、経験積んで行くにつれて先輩行司名や、以下に挙げるような由緒ある行司名を名乗って三役格まで進み立行司伊之助、庄之助へと昇進して行く。 現在立行司の名前として用いられる木村庄之助式守伊之助は、かつては年寄名跡でもあったが、1958年昭和33年限り年寄名跡としては廃止された。年寄名跡には行司由来名跡として、木村瀬平式守秀五郎存在するが、一般的には行司家の名称と被らないように頭文字をとって「木瀬」、「式秀」と呼ばれている。 この他、かつて立行司の名前として用いられた行名として、元々大坂相撲の立行司であった木村玉之助木村清之助がある。木村玉之助東京相撲では庄之助・伊之助に次ぐ3人目立行司名として用いられ副立行司導入される副立行司名として用いられたが、13木村玉之助1959年11月場所限り停年退職し、1960年1月場所副立行司廃止されたのを最後に現在に至るまで襲名されず事実上途絶えている。また木村清之助東京加入東西合併)の際に立行司名から除外され当時8代木村清之助三役格に降格したが、現役中1942年昭和17年5月場所後に死去したのを最後に、これも現在に至るまで襲名されず事実上途絶えている。 他にも数多くある由緒ある行司名の中には木村夛司馬木村亘り式守見藏など、ここ100年上襲名されていないものもある。一方で2006年には式守鬼一郎名跡46年ぶりに復活したり、2014年には木村銀治郎名跡84年ぶりに復活するといった事例もある。

※この「行司家と行司名」の解説は、「行司」の解説の一部です。
「行司家と行司名」を含む「行司」の記事については、「行司」の概要を参照ください。

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