行事の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:46 UTC 版)
行事は夜9時頃から翌日の未明にかけて行われる。まず参加者全員の前にお膳が並べられ、その年の当番となった者が「それでは箸をお取りください」との発声から始まる。提供される料理は、御飯と豆腐のすまし汁、薇の辛子和え、沢庵漬けといった質素なものである。 参加者はとにかく豪快に料理を平らげることが求められる。行事が始まった瞬間、即座に箸を取り、お椀を携え、味わう暇もなく、ひたすら「飯」と「汁」をかきこんでいく。給仕役も「食えー」「飲めー」と叫び、参加者をせきたてる。お椀が空になっても、参加者が降参するまでお代わりを続けなければならないため、次第に顔は紅潮し、大量の汗を垂らしながら、意地で食材を口の中に詰め込んでいくことになる。お代わりをする時は、「めしっ、めしー」「しるっ、しるー」と絶叫しながら、お椀を箸で叩いて催促する。給仕役はお椀にお代わりを山盛りにして催促に応える。
※この「行事の流れ」の解説は、「おこもり」の解説の一部です。
「行事の流れ」を含む「おこもり」の記事については、「おこもり」の概要を参照ください。
行事の流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:24 UTC 版)
妙見神社の祭礼の後、当番宿からヨビツカイという子どもたちが各戸を訪れ、当番宿への着座を求める。参加者一同が座に着くと、子どもの相伴で今回の当番である古太夫から次回の当番の新太夫へ神酒が注がれて当渡しが行われ、座に着いた一同がこの酒を分かち飲みすることで新旧当番の引き渡しが承認される。古太夫は烏帽子・直垂姿、新太夫は紋付き羽織姿である。 続いて太鼓が三度打ち鳴らされると、強飯式が開始され、山伏と強力が登場する。太鼓の合図とともに縁先で謡がうたわれ、山伏のみが座敷に入り、立ち姿で座に向かって故事来歴を述べる。強力は縁の上で、立ち膝中腰の姿で控えており、山伏の口上が済むと山伏の声を受けて座敷に入る。強力は、立て膝のまま座に進み、膝で床を激しく踏みならし、戸障子などを揺り動かしながら入座すると、手に持ったセメボウを声高らかに突き立て、さらに両手で目の上まで押し戴いて、山伏同様に来歴を述べる。山伏は、強力を従えて新太夫へと向かい、酒33杯・湯5杯と飯75膳を強いる口上を述べ、新太夫がこの強飯を受けた後、責め棒でその首根を押さえて祝う。座には新太夫のほかに、古太夫・脇太夫・遠客・新客・花婿などと氏子各戸1人が着座している。脇太夫は次の祭り当番、遠客はこの地方の名士などの遠来の客、新客は本戸以外の初めて座に着く者である。山伏と強力は、座に着いた全員に新太夫同様の口上をもって責める。このとき強力は、とくに新客と花婿に対しては、地域の習慣や氏子・村人としての心得などを申し渡し、その他の客に対しては神の名のもとに、それぞれの日常の行跡や態度を評価し感謝したり批判したりする。 一同に飯を強いた後、強力は最後に立ち上がり、謡に合わせて四股を踏みながら、山伏の回りを右回りに3回まわって式を終える。強飯用の料理は、かつては祭りの当番の家で調理されていたが、現在では青年がつくっている。この行事は、祭り当番の受け渡し儀式とともに、望ましい村人としての資質を育てようとする性格もうかがわせる行事であり、重要なものである。
※この「行事の流れ」の解説は、「発光路の強飯式」の解説の一部です。
「行事の流れ」を含む「発光路の強飯式」の記事については、「発光路の強飯式」の概要を参照ください。
- 行事の流れのページへのリンク