融和と軍縮とは? わかりやすく解説

融和と軍縮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 04:05 UTC 版)

オーシア連邦」の記事における「融和と軍縮」の解説

連合軍参加した各国は、ベルカ戦争と、それに続くクーデター事変によって大きく疲弊した。特に、長きに渡る冷戦状態から互いに競争政策維持していたオーシア連邦ユークトバニア連邦共和国には、戦後復興に伴う人的経済的負担大きさから、これまでの政策見直機運生じた。 その大きな要因となったのが、1996年FCU中央ユージア連合大統領によって公表された、小惑星ユリシーズ地球衝突予測(『ACE COMBAT 04参照)である。発表され落下予測地域ユージア大陸周辺集中してはいたが、「核の冬」の到来予見されていた事から、これが世界的な危機である事は間違いなく、オーシア・ユークトバニア両国にも軽視できない問題であった。しかし、戦後復興困窮する両国は、FCU主導する隕石迎撃計画への本格的な参加を見送らざるを得なかった。そこで、両国が採った方策は、まず自国国力回復努めユリシーズ落下による被災後世界復興に対して支援するというものであったこの頃から被災後復興計画策定向けて協力関係構築されユリシーズ落下目前となった1999年初め頃から両国の関係は急速に改善する2004年融和主義知られる48オーシア連邦大統領ビンセント・ハーリング就任以後、この路線確定的なものとなり、同年には共同開発された大気機動宇宙機アークバード」が稼働開始同様に両国友好目玉である「恒久的宇宙ステーション建設計画」の国際宇宙ステーション建造目的としたマスドライバー施設有するバセット宇宙センター共同建設運用推進される。これらの施設は、両国軍事的対立路線から協調路線への転換象徴として認知された。 2008年には、この宇宙空間に浮かぶ「アークバード」で、アネア中央ユージアオーシアユークトバニア、ベルーサ、ノルトランドエルジア暫定自治政府によるG7先進国首脳会議開かれた。これは、「国境越えた場所での首脳会議」というハーリング大統領就任以来希望よるもので、かつて永世中立国ウェロー民主連邦国遠洋での開催試みるも、テロにより中止追い込まれ以来画期的試みであった。 この会議採択された「アークバード宣言」では、冷戦構造崩壊もたらしたオーシアユークトバニア協調路線各国支持具体的な政策としては、ユージア大陸で続くユリシーズによる被災難民問題などへの国際協力体制確立包括的核実験禁止条約早期発効核不拡散努力維持強化第二次戦略兵器削減条約履行などが宣言され今後世界的な友好協力関係が続くであろうとされた。

※この「融和と軍縮」の解説は、「オーシア連邦」の解説の一部です。
「融和と軍縮」を含む「オーシア連邦」の記事については、「オーシア連邦」の概要を参照ください。

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