菊地直子逮捕後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 18:20 UTC 版)
「高橋克也 (オウム真理教)」の記事における「菊地直子逮捕後」の解説
1996年11月以降は足取りが途絶え、海外逃亡説も取り沙汰されたが、2012年6月3日、神奈川県相模原市で逮捕された菊地直子の供述により、2007年ごろまで菊地と生活を共にしていたが、その後は別行動を取っていた事が分かった。 逃走中は実在する人物の住民票を悪用し、本人になりすまして生活していた。2011年12月まで、川崎市幸区のアパートに潜伏していたが契約更新に関するトラブルで退居し、その後は2012年6月まで同市川崎区所在の勤務先社員寮に転居し、菊地の逮捕後の6月4日に新聞で菊地の逮捕が報じられると逃亡を再開した。警察が高橋が住んでいた川崎市の社員寮に踏み込んだのは逃亡から3時間近く経過した後だった。 菊地逮捕以降、高橋は「最後のオウム逃亡犯」「オウム逃亡犯最後の1人」と呼ばれた。警察は逃亡を続ける高橋を逮捕するために一般市民から情報提供を呼びかけるべく、職場に提出された履歴書の顔写真を公開した。また警察は顔写真だけでなく、逃走直前に預金ほぼ全額を引き出した金融機関や職場での高橋の顔が映った防犯カメラの映像、コンビニで弁当と菊地逮捕を報じる新聞を購入した際の防犯カメラの画像を公開した。 さらに逃走直前にスーパーで逃走用に購入したとみられる青いキャリーバッグの存在、職場関係者の証言に基づく似顔絵、金融機関から引き下ろした200万円以外にも菊地の同居人の証言から資金を持っており数百万円を所持している可能性があること、「潜伏先は地方を避けて都会にすべき」や「駅や空港には防犯カメラが多いから避けるべき」と高橋が供述していたとする菊地の証言、キャリーバックを購入したスーパーからタクシーに乗車する際に脚と青いキャリーバッグがわずかに映った防犯カメラの映像、社員寮に夏服がない一方で冬服が残されていることから何着かの夏服が持ち出されている可能性が高いこと、社員寮に防犯カメラ特集の雑誌が残されており防犯カメラに関する知識を悪用して逃亡している可能性が高いこと、川崎駅周辺の透明なドア越しに歩く姿がわずかに映った喫茶店の防犯カメラの映像、職場に提出された履歴書や金融機関払戻請求書に書かれた筆跡に至るまで連日に逐次公開し、結果として連日にわたって世間の注目を集めることになった。 マスコミもこれらの警察の細かな発表だけでなく捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)の対象であることを合わせて報道し、高橋の足取りだけでなく逃亡手段や潜伏先や心理状況に至るまで専門家が推理・分析し、コメンテーターが論評し、現職の捜査責任者である警視庁捜査一課理事官が生放送のテレビ番組に出演し情報提供を呼びかけるなど異例の展開を見せ、「劇場型捜査」と呼ばれた。 市民から有力な内容を含むいくつかの情報が寄せられる中、逃亡開始から17年後の2012年6月15日午前、潜伏していた東京都大田区西蒲田の漫画喫茶「コミックガーデン」で似た男がいると通報があり、駆け付けた捜査員が「高橋克也の件で捜査しています」と聞くと「はい。私が高橋克也です」と素直に応じ、連行された蒲田警察署で逮捕された。2011年12月31日、丸の内警察署に自ら出頭した平田信の逮捕から僅か半年で最後のオウム逃亡犯である高橋が逮捕されたことで、オウム真理教事件は一つの節目を迎えた。 逮捕後の取り調べで麻原への帰依を否定した平田や菊地と異なり、高橋は逃亡中に使用していたキャリーバッグの中に麻原の著書や写真、説法の録音されたカセットテープが入っており、また捜査員に対し麻原のことを「尊師」と呼んでいること、取り調べ中に「教団の修行を積めばパワーがみなぎる」などと話していることなどから、麻原への帰依や教団の教えを支えに逃亡生活を続けていたと思われる。
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