英国での歴史とは? わかりやすく解説

英国での歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/03 07:26 UTC 版)

オースチン・A50ケンブリッジ」の記事における「英国での歴史」の解説

当時イギリスにおける典型的なミドルクラス・サルーンとして開発された。前輪独立懸架後輪固定軸の後輪駆動というごくコンベンショナル構造で、イギリス保守的な中産階級ユーザー向けに手堅く設計されモデルである。 先代モデルのA40サマーセットはデザイントレンド過渡期モデルであったため鈍重さが目立ったが、ケンブリッジでは、やや腰高ながら機能性改善した1950年代中期典型的3ボックス・ノッチバックスタイルのセダンとなり、ボディ構造セミ・モノコック構造改められた。 またエンジンは、新設計のBMC・Bシリーズエンジンに刷新された。MGAMGZBマグネットなどと共通の、当時BMCにおける中級車用標準型4気筒エンジンである。このエンジン自体は、1947年中型オースチン戦後型として発表された「A40デヴォン」用に開発され、続く1952年のA40サマーセットにも継承されていた1.2Lエンジン拡大した構造で、当時ナッフィールドオースチン合併に伴い、新BMCにおけるエンジン標準化施策の中で中型車用1.5Lクラス位置づけられたものであるが、以後1970年代まで排気量拡大ベアリング追加などの改良を受けながら、BMCおよび後身BLMCにおける主力エンジンとして長く使われた。 4ドア4人乗りセダン先行して登場したが、1956年11月パネルバンが、1957年5月にはピックアップトラック追加され両者乗用車がA55/A60へと発展した後も1971年まで生産続行された。 本国ではボルグ・ワーナーオーバードライブやManumaticと呼ばれた自動変速機付き選択可能であった1956年10月にはタイヤ14インチから13インチ変更され圧縮比高められる変更受けた当時英国The Motor誌の計測によると、最高速度118.4km/h、0-60マイル加速28.8秒、燃料消費10.1km/lという性能であったA50ケンブリッジイギリス本国では約115,000台が生産された。また、同じスタイル従来からの1242cc42馬力エンジンを持つ廉価版のA40ケンブリッジ同時に登場したが、こちらの生産台数は約30,000台と少なかった1957年1月A50テール伸ばされトランクスペースを拡大したA55ケンブリッジ発展1959年BMC"ファリーナ"サルーンモデルチェンジするまで約150,000台のA55が作られた。

※この「英国での歴史」の解説は、「オースチン・A50ケンブリッジ」の解説の一部です。
「英国での歴史」を含む「オースチン・A50ケンブリッジ」の記事については、「オースチン・A50ケンブリッジ」の概要を参照ください。

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