艦長チャールズ・B・マクベイ3世とその後
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「インディアナポリス (重巡洋艦)」の記事における「艦長チャールズ・B・マクベイ3世とその後」の解説
チャールズ・B・マクベイ3世大佐(1944年11月からインディアナポリスの艦長)は生き残った。1945年11月、彼は軍法会議にかけられ、ジグザグ運動を怠り船を危険にさらしたとして有罪とされた。軍法会議のいくつかの事実は論議を呼んだ。アメリカ海軍自体が船を危険な状態に置いたという確かな証拠があった。また、伊58艦長橋本以行元中佐(撃沈当時は少佐)はジグザグ運動をしていても撃沈できたと証言した。アメリカは第二次世界大戦の戦闘で約700隻の艦艇を失ったが、戦闘で撃沈された艦艇の艦長が軍法会議にかけられたのはマクベイ元艦長ただ一人であった。有罪になったことでマクベイ元艦長の海軍での経歴は終わり、死んだ乗組員の遺族に責め立てられ1968年に自殺した。 悲劇から50年以上後に、当時12歳で、映画『ジョーズ』(作中でインディアナポリスの話が登場する)によってこのインディアナポリス撃沈事件に興味を持ったハンター・スコットによりマクベイ元艦長の軍法会議が誤審であるとの認識が提起され、2000年10月12日、アメリカ合衆国議会はマクベイ元艦長の記録は「彼はインディアナポリスの損失に対し無罪である」ことを反映すべきだという決議を可決した。10月30日にビル・クリントン大統領もこの決議にサインした。しかし、マクベイ元艦長の名誉回復に尽力していた橋本元中佐は5日前(10月25日)に死去していたため、その知らせを聞くことはできなかった。 マクベイ3世艦長の名誉回復に先立って、1995年8月2日にはインディアナポリス市内にインディアナポリス・ナショナル・メモリアルが建立された。石灰岩と花崗岩で出来たメモリアルは、沈没で落命した乗組員の名前が全て刻み込まれている。また、インディアナポリスに関する資料はインディアナ州博物館(英語版)に納められ、艦鐘と公式ペナントはヘスラー海軍倉庫(英語版)で保管されている。アメリカ海軍の新兵がトレーニングを行う水泳訓練所にもインディアナポリスの名前が与えられた。 2007年7月7日には、インディアナ大戦記念プラザ(英語版)内にインディアナポリス博物館がオープンした。 2011年8月17日付けの『ハリウッド・リポーター』誌(電子版)によると、俳優ロバート・ダウニー・Jrとその妻スーザン・ダウニーがワーナー・ブラザースと組み、インディアナポリス沈没にまつわる話を11歳のハンター・スコット少年の目を通して映画化すると発表した。TVミニシリーズ『ザ・パシフィック』の脚本でエミー賞を受賞したロバート・シェンカンが、ダウニー夫妻の原案をもとに脚本を執筆する予定。 2013年8月4日、インディアナポリスで開催された旧乗組員再会パーティーにレイ・メイパス海軍長官が書簡を送り、次期沿海域戦闘艦にインディアナポリスの名を与えると発表した。 2016年、この事件を描いた映画『パシフィック・ウォー』がマリオ・ヴァン・ピーブルズ監督、ニコラス・ケイジ主演で制作された。
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