自然権を否定する思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 14:05 UTC 版)
もっとも、功利主義でも知られているジェレミ・ベンサムをはじめとする法実証主義のように、実定法以外の全ての法はありえず、自然権や自然法の存在を否定する立場も存在する。その立場に立てば、基本的人権などの諸権利も全て憲法などの法律の制定によって初めて成立するものであると解される。実際に現在の民主主義国の多くでは、自然権とされてきた諸権利は憲法などに規定され、日本国憲法においても自然権は「基本的人権」の体裁をもって永久の権利として保障されている(ただし、自然権を認める論に立てば、基本的人権の立法化は自然法の実定化であって、実定法に由来する権利ではない)。 だが、こうした理論は、国家あるいは君主(元首)の権限が強大で国民・議会の権限が弱く、自然権・自然法による普遍的価値観を認めない体制・社会において、「法の支配」が時の君主(元首)や政府の意思が合法化させる仕組みとして機能し、「悪法も法なり」という思想となって発現した(悪法問題)。ドイツ・イタリアのファシズムやソ連・北朝鮮の共産主義など民主政治を否定する政権の登場は、そうした体制・社会が生み出した産物とも捉えられている。また、それ以外にも共産主義のカール・マルクスや各種共同体論の立場からも批判が出されることがある。 メタ倫理学においては、経験論から善悪の指針を導くことはできないとして(自然主義的誤謬)、20世紀初頭に G. E. ムーア が著書『倫理学原理』のなかで批判を展開した。 国家権力の及ばない個人の私的分野の存在を認める自然権の考え方は、多くの自由主義・民主主義を奉じる国家・人々に受容されている。もっとも、自由主義者・民主主義者の間でも、自然権の中核にある権利を自由権とするか平等権とするかについては意見が分かれており、大きな政治路線の対立として表れる場合もある。
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