聖牛崇拝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:28 UTC 版)
ヒンドゥー社会において牛は崇拝の対象となっている。ヒンドゥー教徒でインド思想研究者のベンガル人クシティモハン・センは、民衆ヒンドゥー教における牛の神聖視の起源は、全くわからないと述べている。神話にも牛が度々登場し、たとえばシヴァ神の乗り物はナンディンという牡牛である。実社会でも牡牛は移動、運搬、農耕に用いられ、牝牛は牛乳を供し、乾燥させた牛糞は貴重な燃料(牛糞ケーキ)となる。ただし聖別されているのは主として瘤牛であり、水牛は崇拝の対象とはならない。 ヒンドゥー神学では、牛の神聖性は輪廻と結びついている。ヒンドゥー教の輪廻の考え方は上下87段の階梯構造となっているが、最上段の人間に輪廻する1つ前の段階が牛であり、牛を殺した者は輪廻の階梯の最下段からやり直さなくてはならなくなると言われる。また、ヒンドゥー神学者は牛には3億3千万の神々が宿るとし、牛に仕え、牛に祈ることはその後21世代に渡ってニルヴァーナをもたらすという。 リグ・ヴェーダの時代には牛は富裕な階層が蓄える富の一つであり、祭礼や戦勝祝いなどの饗宴の際には、ブラフマン祭司の監督下で行われる儀礼的な屠殺の後に振る舞われた。時代が下り、人口が増え戦乱の時代が続くようになると、牛は気前よく振る舞うにはコストが掛かり過ぎる貴重品となり、食材としては高位カーストの独占物となった。 紀元前5世紀頃、ジャイナ教と仏教が勢力を伸ばし始める。これらの宗教は不殺生を標榜し、動物供犠や屠殺を非難して低位カーストの支持を集めた。その後9世紀にわたってヒンドゥー教と不殺生宗教の抗争は続いたが、インドにおいてはヒンドゥー教が勝利した。抗争の過程でヒンドゥー教側も牛の保護者を標榜するように変質し、非殺生の教義を取り入れていた。 民衆の牛への崇拝はインド大反乱のきっかけとなったとも言われ、マハトマ・ガンディーが牛への帰依心を言及したことも、彼が民衆から聖人のような名声を得る理由の一つとなっている。
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