聖マリエン教会とは? わかりやすく解説

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せいマリエン‐きょうかい〔‐ケウクワイ〕【聖マリエン教会】


聖マリエン教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/03 06:59 UTC 版)

ヴォラースハウゼン」の記事における「聖マリエン教会」の解説

かつての "Woldershusen" の礼拝堂は、1387年初め文献記録されている。ヴォルダースフーゼン騎士一門はペールデ修道院ヴォラースハウゼン礼拝堂庇護権寄贈した。この礼拝堂聖母マリア捧げられた。1398年にミンニゲローデ家がこの庇護権引き受けた1934年まで)。宗教改革の時代、アイヒスフェルトのルーメ川南地区がグルーベンハーゲン司教区属していたのに対して1533年から1543年の間にプロテスタント信仰流布した。 1610年から1611年にヨハン・フォン・ミンニゲローデの下で内陣室が造営され、その地下廟所設けられた。この他木製格天井華麗な絵画とともに設えられており、この種のものとして珍しい芸術作品である。その後この教会はさらに芸術作品飾られていった。 古い部分ゴシック時代のものが遺されている祭壇には東方三博士イエス礼拝描かれている。1614年の銘は、ドロテア・フォン・ミンニゲローデをパトロンとしてその名を記している。 ルネサンス様式彩色され木製説教壇は、ハンス・ツィンマーマン・フォン・リヒテンフェルス(フランケン)により1619年建造された。説教壇多角形台座中央には世界の王としてのイエスが4人の福音史家によって額に入れられた形で描かれている。 ドロテア・フォン・ミンニゲローデは、1611年亡くなった夫ヨハン・フォン・ミンニゲローデのために1616年イタリアの黒大理石と白いアラバスター造られ墓碑エピタフ)を内陣左壁設置した三十年戦争建設工事継続阻んだ1675年からやっと息子のハンス・フォン・ミンニゲローデによって、後には子孫のゲオルク・フリードリヒ・フォン・ミンニゲローデによって工事継続されることになった荒石によって中堂と塔が建設された。塔の下のヴォールトはこの一族新し廟所として建設され1802年までその目的使われた。やがて墓所遺骨移し替えられた。内陣の右壁には、この教会完成したときの当主ゲオルク・フリードリヒ・フォン・ミンニゲローデの紋章配置されている。 祭壇室に浮かぶ1730年洗礼天使バロック様式)も目を惹く壮麗な2段手鍵盤オルガン1851年ヘルツベルクオルガン製作者ヨハン A. エンゲルハルトによって製作されたもので、2000年に完全に解体修理された。祭壇の上飾り説教壇洗礼天使2001年修理された。

※この「聖マリエン教会」の解説は、「ヴォラースハウゼン」の解説の一部です。
「聖マリエン教会」を含む「ヴォラースハウゼン」の記事については、「ヴォラースハウゼン」の概要を参照ください。

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