翻訳の問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 18:59 UTC 版)
ある宗教が複数の言語に跨って広がっていくと、その経典あるいは聖典を翻訳しようという動きもでるのだが、そこには困難な問題が生じることがある。翻訳一般の問題として、語彙体系も社会環境も異なれば、原語から翻訳語へ正確に語句が対応しているとは限らず、対応する語句が存在しない、あるいはどういう語句を当てても意味がズレることは多々ある。16世紀のイエズス会による日本布教で、仏教用語を借用して教義を説明したためにキリスト教が仏教の一派であると一部に誤解されたことなどはその一例であろう。また文法体系が異なれば原語で表現できていたニュアンスが翻訳語の中ではどうしても正確に表現できないことも生じる。 翻訳者が一つの訳文を選択するに当たっては、翻訳者の判断とその前提となる原典解釈が必須であるが、その「正しい」解釈をめぐって時には教団内で深刻な対立が生じることもある。宗教改革時にプロテスタント側がカトリック教会の認めない聖書翻訳を行って対抗し、その翻訳を拠りどころにしてプロテスタント教会を成立させていったことはその典型例であろう。 そもそも西方教会では民衆語(ヴァナキュラーな言葉)への翻訳を禁止していた時期があり(聖書翻訳の歴史の中世の項も参照)、民衆が自由に聖書解釈することに神経を尖らせていたが、それは宗教史的に見れば特異なことではない。たとえば、イスラームの聖典であるクルアーン(コーラン)は原語であるアラビア語から他言語への翻訳が禁じられ、翻訳されたとしてもそれはクルアーンの注釈書もしくは解説書であるとみなされていた。タイの仏教社会でも、パーリ語経典を訳すことなくそのまま丸暗記させている。 聖典の翻訳禁止は、多くの人々にとっては外国語でしか聖典に接することができず、大変なストレスをかけることになるのだが、翻訳が引き起こすリスクはそれ以上に大きいと見なされることもあったのである。
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