翻訳の是非
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:32 UTC 版)
クルアーンは、アラブ人のムハンマドを通じてアラブ人の共同体に対して与えられた啓典であったので、布教の対象も当初はアラビア語を理解できるアラビア半島の住民に限られており、翻訳をめぐる問題も発生しなかった。 しかしクルアーンは単なるアラブ人に対する啓典ではなく全人類に与えられた最高で最後の啓典と位置付けられていて、それを根幹とするイスラム教の共同体も、アラブ人に留まらず全人類が内包されるべきものと位置付けられていたので、やがてアラビア語を解さない人々に対しても布教が行われるようになる。のちにイスラム教が東南アジアなどに布教されるようになる段階に至るとクルアーンの翻訳に対して積極的な意見を持つ者もあらわれた。しかしウラマーたちの間では「クルアーンがムハンマドに対してアラビア語で伝えられた」ことが重視され、翻訳されたものは神の言葉そのものであるクルアーンを正しく伝えられないとする解釈がなされるようになった。そのため、アラビア語で書かれたもののみが「クルアーン」であるとみなされるようになり、現在に至っている。 広く誤解されているが、クルアーンを翻訳すること自体は禁じられていない。7世紀頃、ペルシア語に翻訳されたものをはじめとして、現代に至るまでアラビア語を母語としないムスリム向けにクルアーンの翻訳がなされている。しかし、アラビア語以外のクルアーンが、クルアーンとして扱われることはなく、ムスリムは礼拝においてアラビア語でクルアーンを唱えることが義務である(これは日本の仏教において、真言が翻訳されないのと似ている)。 かつてトルコ共和国では政府の脱イスラム化の改革の一環として、クルアーンのトルコ語化がはかられるようとしたが、注釈用として以上の用途にはついに広まらなかった。 中国 中国で初のクルアーン全訳が出たのは、民国16年(1927年)という説がある(漢族の鉄錚という翻訳者による『可蘭経』)。これはアラビア語からではなく、坂本健一が1920年に出した『コーラン経』(ロッドウェルの英訳からの重訳)からの重訳といわれる(つまり三重訳)。その後、民国21年(1932年)に、ムスリムである王静斎によるアラビア語からの本格的全訳『古蘭経訳解』が完成したという。 日本 日本語訳は、古くは前述の坂本健一や大川周明によるものがあるが、現在では井筒俊彦や藤本勝次らによる翻訳、ムスリムである三田了一や中田考による翻訳などがある。 「クルアーンの日本語訳」も参照
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