藤本勝次とは? わかりやすく解説

藤本勝次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 07:51 UTC 版)

藤本 勝次
人物情報
生誕 (1921-07-04) 1921年7月4日
日本 大阪府大阪市
死没 2000年2月18日(2000-02-18)(78歳)
出身校 京都帝国大学文学部東洋史学科
学問
研究分野 中東イスラーム
研究機関 関西大学文学部
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藤本 勝次(ふじもと かつじ、1921年7月4日 - 2000年2月18日[1])は日本中東イスラーム学者、専攻は中世イスラム文化史。

経歴

大阪府大阪市生まれ。京都帝国大学東洋史学科でアラビア語を学ぶ。

関西大学文学部教授を兼ね、1975年4月から1982年9月までの間、関西大学東西学術研究所の所長をつとめた。

池田修、伴康哉とともにクルアーン全文を日本語訳している。井筒俊彦による翻訳や日本ムスリム協会版とは異なり、登場する聖書由来の人名は原音にこだわらず、「イエス」「マリア」といった既に日本語訳聖書などで定着していた表記を用いている。

2000年2月18日、脳梗塞のため死去[1]

エピソード

大学を卒業して軍隊に入ったとき、せっかくアラビア語を学んだのだから、ムスリムの住むマレー半島ジャワ島スマトラ島に派遣してもらおうと頼んでみたが、聞いてもらえず結局中支戦線に行くことになった[2]

著訳書

著書

  • 『マホメット ユダヤ人との抗争』中央公論社〈中公新書〉、1971年
  • 『中東をめぐる諸問題』晃洋書房、1985年

訳書

  • 著者複数『シナ・インド物語』 関西大学出版部〈東西学術研究所訳注シリーズ1〉、1976年
  • ブズルグ・イブン・シャフリヤール『インドの不思議』 関西大学出版部〈東西学術研究所訳注シリーズ2〉、1978年
  • ウサーマ・ブヌ・ムンキズ『回想録』 関西大学出版部〈東西学術研究所訳注シリーズ3〉、1987年
  • イブン・ジュバイル『旅行記』 池田修共訳、関西大学出版部〈東西学術研究所訳注シリーズ6〉、1992年、講談社学術文庫、2009年7月
  • 『コーラン』伴康哉・池田修共訳
    • 中央公論社〈世界の名著15〉、1970年
    • 中央公論社〈中公バックス・世界の名著17〉、1979年
    • 中央公論新社中公クラシックス 全2巻>、2002年
    • 解説は『聖典』<中公クラシックス・コメンタリィ>に所収、2008年6月

記念論集

  • 『藤本勝次先生 加藤一朗先生古稀記念 中近東文化史論叢』(同記念会編、1992年)

脚注

  1. ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.534
  2. ^ 「コーランと私」『世界の名著 15 コーラン』8頁




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