美濃肥田氏とは? わかりやすく解説

美濃肥田氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 05:02 UTC 版)

肥田氏」の記事における「美濃肥田氏」の解説

現在の岐阜県土岐市肥田町発祥の地としているが、歴史の流れと共に居を変え可児肥田氏尾張肥田氏伊勢肥田氏中津川肥田氏近江肥田氏江戸肥田氏確認されている。家紋は「土岐桔梗」「丸に桔梗」。菩提寺臨済宗妙心寺派天福寺現在の肥田町)。 肥田氏桔梗土岐桔梗本姓清和源氏土岐氏家祖土岐光房 種別武家 出身地美濃国土岐郡肥田 主な根拠地美濃国尾張国ほか 著名な人物肥田文左衛門肥田玄蕃助軌休忠政、肥田左衛門 凡例 / Category:日本氏族 土岐浅野光時 - 承久の乱の際、宮方出陣敗戦後浅野判官改名し土岐市浅野浅野館蟄居した土岐氏初代土岐光衡次男光時浅野氏氏祖となる。(現在の土岐市肥田町浅野肥田光房 - 光時次男土岐浅野次郎光房肥田次郎光房名乗り肥田氏氏祖となった現在の土岐市肥田町)。 土岐宗家5代土岐頼遠岐阜長森移転に伴い可児市移転肥田氏土岐明智家土岐石谷家と共に足利将軍家奉公衆親衛隊)を務め代々将軍から偏諱受けていた名族勇猛豪胆知られる。しかし応仁の乱前後より足利将軍家土岐宗家弱体化し明応4年1495年)の船田の乱では石丸方に付いて敗北したために、肥田氏急速に弱体化し弘治2年1556年)の斎藤義龍挙兵により四散し織田信長明智光秀仕えその後徳川家康仕える。 肥田左衛門 - 1556年弘治2年)、斎藤義龍による明智長山城攻撃時に土田甚助(後の生駒親正と共に犬山城織田信清援軍要請する断られるその後土田家信長の母・土田御前実家)と親戚である生駒家尾張小折村現在の愛知県江南市)に食客として土田甚助木下藤吉郎と共に迎えられる1558年永禄元年)、織田信長生駒家信長吉乃実家)へ立ち寄った際に木下藤吉郎と共に信長仕官1560年永禄3年)、桶狭間の戦い勲功上げ加増尾張肥田氏の祖となる。 肥田玄蕃助軌休忠政 - 米田城城主、没落した土岐肥田氏惣領家菩提寺龍洞寺)となり信長美濃攻略では信長帰順し所領安堵される。本能寺の変後森長可攻撃を受け加治田城移り、軌休忠政の子肥田忠親が美濃金森家仕えた肥田重 - 徳家康より尾張藩徳川義直家老命じられ以後代々左衛門名乗り尾張徳川家家老職輩出した源頼光 ┃ ┃ 源国房源光基土岐光衡1 ┣━━━━━━━━━━━┓ 光行2 土岐浅野光時 ┃ ┃ 光定3 土岐光房肥田氏祖) ┏━━━━━━━━━┫ ┃ 蜂屋定親 頼貞4 肥田光保 ┃ ┣━━━━━┓ ┃ 原師親 頼清 頼遠5 肥田有光

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