線路が新線の建設予定地にあったことによる廃線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 17:09 UTC 版)
「廃線」の記事における「線路が新線の建設予定地にあったことによる廃線」の解説
新線の建設予定地に既存の鉄道路線がある場合、線路用地確保のためにその鉄道路線が廃止された例もある。江若鉄道・名鉄挙母線・宮崎交通線は、国鉄新線の建設(それぞれ湖西線・岡多線・日南線)における用地確保のため廃止された。 他にも定山渓鉄道の一部は札幌市営地下鉄南北線の、南海天王寺支線の一部は大阪市営地下鉄堺筋線の、土佐電気鉄道安芸線は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線(計画時は国鉄阿佐線)用地の一部になっている。このような場合戦前はその民間の鉄道路線を買収して国鉄線に直接編入していたが、戦後は車両・路盤などの諸設備において国鉄と私鉄の規格の差が大きくなったためいったん私鉄路線を廃止して線路や設備を撤去し、その用地上に改めて線路を建設する方策に変わっていった。また、江若鉄道のように線路用地の流用率が低く、新線開業に伴う廃止補償に近い側面を持つ場合もある。 しかし廃止してから新線が開業するまでに鉄道空白期間が生じる短所もある。かつては、路線自体が全く並行していなくとも路線の目的が国鉄新線と重なるため補償金を払って既存の鉄道を廃止させた例もあった。たとえば朝倉軌道は国鉄甘木線の開業に伴い廃止されたが、「福岡・久留米と甘木を結ぶ」という点以外甘木線と競合する要素は全くなく、並行する区間もなかった。 また北恵那鉄道のように国鉄下呂線の敷設を前提に廃止されたものの、国鉄路線が未成線のままに建設が中止された例もある。この場合は結果的に、「旅客・貨物の減少」による廃線と同様の形態となっている。 北丹鉄道の廃止も、その後北近畿タンゴ鉄道宮福線がほぼ同ルートに開通しているのでこの例に含まれると思われがちだが、実際には宮福線は当初は北丹鉄道の北側終点付近と宮津を結ぶ計画であり、福知山とを結ぶ計画に変更されたのは北丹鉄道の廃止後であった。従ってこの例は「利用者や貨物の減少による廃線」に分類する方が適切といえる。 他には国鉄路線の開通によって既存の国鉄路線が廃止された例もあり、中央本線の支線である下河原線(国分寺 - 東京競馬場前間の大半が武蔵野線の建設予定地と重複・並行していたため)や内子線の一部区間(予讃本線新線との接続・高規格化のため)がそれにあたる。 淡路鉄道の場合は、本州および四国と橋が架けられ地続きになった際には国鉄直通路線を敷設する計画もあった。明石海峡大橋が道路専用橋として建設されたため、四国新幹線はトンネルを経由する構想になっている。 東日本旅客鉄道(JR東日本)の東北本線東京 - 上野間の列車線は、東北新幹線の東京延伸のために、1983年1月31日限りで廃止され線路用地を譲った。ただしこれは路線の廃止ではなく、これまでに挙げたものとは性格を異にする。なおこの線路は、上野東京ラインとして2015年3月14日に復活した。
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