継承法の歴史
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「アメリカ合衆国大統領の継承順位」の記事における「継承法の歴史」の解説
詳細は「大統領継承法(英語版)」を参照 1792年大統領継承法は、議会によって可決された最初の継承法である。同法は、連邦党と民主共和党の対立により、議論の的となっていた。当時国務長官であったトマス・ジェファソンが民主共和党の指導者として浮上したため、連邦党は副大統領に続く大統領継承者として国務長官が現れることを望まなかった。三権分立に反することから、連邦最高裁長官を含むことに対する懸念もあった。成立した妥協案は、上院仮議長を副大統領に続く継承者に据えることを確立し、下院議長がこれに続いた。いずれにせよ、これらの職員は「障害が取り除かれるか、または大統領が選出されるまでの間、アメリカ合衆国大統領として行動する」ために存在する。同法は、大統領と副大統領が共に欠けた年の11月に補欠選挙を実施するよう求めた(欠員が10月最初の水曜日以後発生しなければ、選挙は翌年実施される。欠員が大統領の任期の最後の年までに発生しなければ、次の選挙は定期的に予定されているものとして実施される)。こうした補欠選挙で大統領と副大統領に選出された人々は、翌年3月4日に始まる4年の任期を全うするとされたが、そのような選挙が実施されることはなかった。 1881年のガーフィールド大統領の死後、また1885年のヘンドリックス副大統領の死後、上院仮議長もいなければ新しい下院もまだ開会しておらず、下院議長も決まっていなかったため、副大統領に続く継承者は全くいないままであった。 チェスター・アーサー大統領は外遊の際、「大統領」に宛てた封筒を残し、自身が執務不能に陥った場合は誰かがこれを開封するであろうと考えた。議会が1885年12月に開会した際、グローヴァー・クリーヴランド大統領は1792年の継承法の改訂を求めた。 同法は、1886年に通過した。議会は、上院仮議長と下院議長を閣僚と入れ替え、国務長官を継承順位の筆頭に据えた。アメリカ合衆国の最初の100年間に、大統領職へ進んだ議会指導者が2名に留まったのに対し、6名の国務長官が大統領に選ばれた。結果として、継承順序を入れ替えることは合理的に見えた。 ハリー・S・トルーマン大統領によって署名された1947年大統領継承法は、継承順序の中で後ろに下院議長と上院仮議長を加えたが、1792年の順序から2つの点を変更した。これは、今日用いられている順序のままである。1947年の米軍再編で陸軍省と海軍省が国防総省に統合されたため、国防長官は以前陸軍長官が占めていた継承順位に収まった。1798年以来、閣僚として存在してきた海軍長官職は、米軍再編で国防長官の下に置かれたため、1947年大統領継承法で継承順序から外された。 1971年までは、郵政長官が郵政省の長であった。そのほとんどの期間中、郵政長官は内閣の一員であり、郵政長官は大統領継承順位の最後尾に位置していた。郵政省が郵便公社(行政府から独立した特別部署)に再編されると郵便公社総裁は閣僚ではなくなり、継承順序から外された。 法規で示された閣僚の順序は常に、各閣僚が属する省の設置順と同一であった。しかし、2002 年に国土安全保障省が設置された際、同省長官を名簿の第8位(司法長官の下、内務長官の上。国防長官の設置以前は海軍長官が占めていた位置)に据えることを希望した議員が少なからずいた。その理由は、既に災害救助と安全保障とを管掌している同省長官は、他の一部閣僚よりも大統領職の継承準備が整っているであろうと考えたためである。国土安全保障長官を名簿の最後尾に加える法律は、2006年3月9日に制定された。
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