継承者問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/31 14:57 UTC 版)
「フィリップ・スタンホープ (第4代チェスターフィールド伯爵)」の記事における「継承者問題」の解説
「フィリップ・スタンホープ (外交官)(英語版)」も参照 1768年、チェスターフィールドの最愛の息子ながら庶子のフィリップ・スタンホープ(英語版)がフランスで浮腫により、未亡人ウジェニア(Eugenia、旧姓ピーターズ)と庶子チャールズ(1761年 - 1845年)とフィリップ(1763年 - 1801年)を残して死去した。彼はチェスターフィールド伯爵の教育を受けて、貴族の庶子ながらイギリスの外交職につくことができたが、チェスターフィールド伯爵はフィリップがみすぼらしい出自の女性ウジェニアと秘密交際した(2人は1767年に結婚した)ことに失望した(このことは、『チェスターフィールド伯爵の息子に与える書簡』で詳しく述べられていた)。チェスターフィールドはそれでも2人の孫にそれぞれ100ポンドの年金を与え、さらに合計1万ポンドを与えたが、ウジェニアには一文たりとも与えなかった。その結果、ウジェニアは『チェスターフィールド伯爵の息子に与える書簡』を出版社に売却することを余儀なくされた。 結局、財産を継承できる嫡出の継承者がいなかったため、チェスターフィールド伯爵は遠戚のフィリップ・スタンホープ(英語版)を養子にし、チェスターフィールド伯爵の爵位と財産の相続人とした。
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