ジョン・ベイリャル (スコットランド王)とは? わかりやすく解説

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ジョン・ベイリャル (スコットランド王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 17:33 UTC 版)

ジョン・ベイリャル
John Balliol
スコットランド王
ジョン・ベイリャルと妻イザベル
在位 1292年 - 1296年
戴冠式 1292年11月30日スクーン

出生 1249年?
死去 1314年11月25日
フランス王国、エリクール城
埋葬 フランス王国、エリクール?
配偶者 イザベル・ド・ワーレン
子女 一覧参照
家名 ベイリャル家
父親 ジョン・ベイリャル
母親 デヴォグィラ・オブ・ギャロウェイ
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ジョン・ベイリャルJohn Balliol, 1249年? - 1314年11月25日)は、スコットランド王(在位:1292年 - 1296年)。

生涯

父はジョン・ベイリャル(1269年没)。母デヴォグィラは、ウィリアム1世の弟ハンティンドン伯デイヴィッドの長女マーガレットとアラン・オブ・ギャロウェイとの間の娘であった[1]。妻のイザベルはヘンリー3世の異父妹アリス・ド・リュジニャンと後にスコットランド総督となった6代サリー伯ジョン・ド・ワーレンとの娘(つまりエドワード1世の従姉妹)である[2]

1290年女王マーガレットの死去により、ダンカン1世以来のアサル王家の直系が絶えたため、王位の座をめぐって13人の王位継承者たちの争いとなった(スコットランド独立戦争#王位継承者問題を参照)[3][4]

1291年、スコットランド支配を狙うイングランドエドワード1世がこの争いに介入し、裁定者としてジョン・ベイリャルを王位継承者に選んだ。長系継承者であること[5]が公式の理由であるが、イングランド王家と近かったこと、御しやすい人物と思われた等が理由として推測されている[6]。翌1292年、ジョン・ベイリャルはスクーンの運命の石の上で戴冠した[7]

スコットランド王となったジョン・ベイリャルであったが、イングランド王に対しての臣従を誓わされ、エドワード1世の完全な傀儡であった[8]。しかし、ジョン・ベイリャルは1294年フランスへの兵員動員を拒否し[9]フランスフィリップ4世と同盟(いわゆる古い同盟)を結んだ[10]1296年4月、ジョン・ベイリャルはイングランド王に対する臣従を拒否し、北部イングランドへ侵攻した[10]。しかし、エドワード1世にダンバーで大敗し英語版、一旦は逃れたものの、7月10日ストラカスロで降伏して、王冠を捨てた[11]

廃位されたジョンは長男エドワードとともにロンドンに送られ、3年間ロンドン塔に幽閉された[11]1299年、釈放されたジョン・ベイリャルはフランス・ピカルディの所領に引退し、15年後の1314年に没した。

子女

1281年2月7日以前に、イザベル・ド・ワーレンと結婚し、2男をもうけた[2]

  • エドワード(1283年頃 - 1365年頃) - スコットランド王(1332年 - 1356年)
  • ヘンリー(? - 1332年) - 内戦で殺害される

脚注

  1. ^ 森、p. 354
  2. ^ a b 森、p. 114
  3. ^ 森、p. 104
  4. ^ トランター、p. 96
  5. ^ ハンティンドン伯デイヴィッドの3人の娘のうちの長女の子孫であることによる(トランター、p. 96)。
  6. ^ 森、p. 107
  7. ^ 森、p. 108
  8. ^ 森、p. 109
  9. ^ 森、p.110
  10. ^ a b 森、p. 111
  11. ^ a b 森、p.112

参考文献

  • 森護 『スコットランド王室史話』 大修館書店、1988年
  • ナイジェル・トランター 『スコットランド物語』 大修館書店、1997年



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