統一までの過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:38 UTC 版)
「エジプト先王朝時代」の記事における「統一までの過程」の解説
ナカダ文化はナカダ2期頃までには上下エジプト全域に広がり、「文化的にはエジプトが統一」されたと言われるような状況が現れていた。しかし、このナカダ文化の拡大過程と、エジプトの政治的統合を単純に同一視できるかどうかはわからない。 基本的な流れとして、上エジプトの政権によるエジプト統一というところまでは多くの学者の意見として共通している。前提となるナカダ文化が上エジプト発祥のものである事に加え、先述の通り、ヒエラコンポリス等、上エジプトで発見された王権に関わる図像には、その後古代エジプト時代を通じて使用されるモチーフとなるものがあるためである。更に図像的な証拠として、ナカダ遺跡から発見された紀元前3500年頃の土器片に彫られた赤色王冠のレリーフがある。この赤色王冠は王朝時代には下エジプトの王冠と見なされたものであり、上エジプトの王冠である白色王冠と対を為すものである。上エジプトにあるナカダ遺跡からこの赤色王冠の図像が発見され、しかもそれが先王朝時代のものであることは、「下エジプト王冠である赤色王冠」の形態が下エジプト固有のものではなく上エジプトで考案されたものである可能性を示すものであり、統一王朝成立過程を考慮する際に重要な情報を提供している。 しかし統一の具体的な経過については百家争鳴の状態にある。 W.カイザーの研究(1956年)ではナカダ文化が南北に拡張していく過程の編年を精緻に調べ、それを政治的な統合過程に限りなく近いものと見なした。しかし、このナカダ文化の拡張過程は、主に墓地の分析で確認されており、それをそのまま政治的集団の拡張過程と見なせるかどうかは明らかでない。 B.J.ケンプ(1989年)は、統一王朝の成立過程を3段階に分ける仮説を立てた。彼の見解では第1段階としてナイル川下流域に多数の群小政体が誕生する。第2段階として上エジプトにアビュドス(ティス)、ナカダ、ヒエラコンポリスを中心とする3つの王国が成立する。第3段階としてヒエラコンポリスがこの3つの王国を統合した上エジプトの王国を作り、この国が下エジプトを征服して統一王朝が成立するというものである。この説は、ナルメルのパレットなどから推測されてきた統一王朝の成立過程や、王朝時代の伝説も念頭に置いている。 T.A.H.ウィルキンソン(2000年)はナカダ1期後期にアビュドス(ティス)、アバディーヤ、ナカダ、ゲベレイン、ヒエラコンポリスの5か所を中心とする政体が存在したとし、ナカダ2期前期にアバディーヤが脱落。ナカダ3期にはナカダとゲベレインの政体も力を失ってアビュドスとヒエラコンポリスが二大勢力となり、ナカダ3期後期にはアビュドスの王ナルメルが2つの政体を統合し、初の統一王朝を築くという仮説を立てた。 また、古王国時代(紀元前27世紀頃~)に作成された『カイロ年代記』には第1王朝以前の王達が上下エジプト王冠を戴く姿で描かれており、これを論拠に実際のエジプト統一を第1王朝以前と見る学者も少数ながらいる。 いずれの説にせよ、文字資料が基本的に存在しない時代であり完全な証明は困難であるのが実情である。
※この「統一までの過程」の解説は、「エジプト先王朝時代」の解説の一部です。
「統一までの過程」を含む「エジプト先王朝時代」の記事については、「エジプト先王朝時代」の概要を参照ください。
- 統一までの過程のページへのリンク