終戦からFIAの発足。「フォーミュラ」の誕生
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「自動車競技」の記事における「終戦からFIAの発足。「フォーミュラ」の誕生」の解説
第二次世界大戦後に最も早く開催されたレースは1945年9月9日にブローニュの森で開催されたパリ杯である。優勝者はブガッティを駆るジャン=ピエール・ウィミーユ(英語版)であった。彼はフランス陸軍の兵役がまだ残っていたため、レースに出場する為に陸軍に許可をとって出場した。 1946年には国際競技としてフランスのサン=クルー、スイスのジュネーヴ市街地、イタリアのトリノで3カ国のグランプリとその他17グランプリの計20グランプリが開催された。当時自動車競技部門を統括していた下部組織である、国際スポーツ委員会 (Commission Sportive Internationale, CSI) によって最高峰のシングルシーターによる自動車競技の発足を目指した。それまでにあったグランプリという国際競技でありながら、新しい定義の競技の必要性が講じられ戦後の自動車競技における新しい「規格」を由来に「Formula = フォーミュラ」と名付けられ、いくつかの階級に分ける案が認められた。その理由に戦前におけるグランプリにて3.0リッタースーパーチャージャー付きエンジンと、4.5リッター自然吸気エンジンの2つが混在していたこともあり、すでにカテゴリの分裂が起きていた。性能差の是正から3.0リッタースーパーチャージャー付きエンジンを廃止し、1.5リッタースーパーチャージャー付きエンジンと、4.5リッター自然吸気エンジンのどちらかの使用というルールとなり、このエンジン使用規約が1950年に初めて「世界選手権」として開催されるフォーミュラ1(F1)の最初のルールとなった。 政治的な動きとしては、1947年に国際自動車公認クラブ協会(AIACR)を前身とした国際自動車連盟 (FIA) が設立された。
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