終戦から1960年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:13 UTC 版)
「小田急電鉄のダイヤ改正」の記事における「終戦から1960年まで」の解説
終戦後もしばらくは、全線各駅停車のみの運行だったが、1946年2月、1943年に中止された相模鉄道の海老名駅から本厚木駅までの直通運転が再開され、1946年10月1日には新たに準急が設定された。運行開始当初の準急は、新宿駅、下北沢駅、経堂駅、成城学園前駅、稲田多摩川駅以西各駅に停車した。また、1948年9月には準急のうち豪徳寺駅以西が各駅停車となる区間準急(通称「桜準急」)が運行される など、優等列車が順次設定された。 そして、1948年10月16日には、新宿駅と小田原駅の間を無停車の特急が土休日限定ながら運行開始となり、1949年10月1日には、特急の毎日運行と急行が復活した。 1950年8月1日には、箱根登山鉄道小田原駅 - 箱根湯本駅間への小田急電車の乗り入れが開始された ほか、1955年10月1日には新松田駅構内の連絡線を経由して日本国有鉄道御殿場線へ乗り入れる列車が設定され、小田急の車両は静岡県に新たに進出した。この列車は、小田急線内では特急扱いであるが、国鉄線内では準急扱いとなったため、特別準急という種別となった。 また、優等列車の停車駅にも変化が見られ、1949年10月の急行復活時、急行の停車駅は、新宿駅、下北沢駅、稲田登戸駅、新原町田駅、本厚木駅、伊勢原駅、鶴巻駅、秦野駅 - 新松田駅の各駅、小田原駅であった が、1951年4月1日には急行の相模大野駅停車開始 と準急の成城学園前駅以西の各駅、1955年3月25日には通勤急行の運転も開始され、小田原線内では急行通過の稲田多摩川駅への停車と急行の走らない江ノ島線でも運転が行われた。なお、江ノ島線では、1959年4月から急行の運転が開始された。
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