精神面の支柱、フッテンとは? わかりやすく解説

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精神面の支柱、フッテン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 21:26 UTC 版)

騎士戦争」の記事における「精神面の支柱、フッテン」の解説

フッテン 荒廃したステッケルベルク城。 フッテン(左から2番め)とルター(左から3番目) ジッキンゲン 話し合うフッテンとジッキンゲン ブツァー エコランパッド ウルリヒ・フォン・フッテン(1488-1523)は、フランケン地方ヘッセン方伯領の境界付近、ステッケルベルク城生まれの下級貴族である。騎士身分持っていたとはいえフッテン家は明らかに落ち目だった。フッテン10歳神学校入れられて、ドイツ各地神学勉強をして育った。しかし18歳の頃にブランデンブルク選帝侯領のフランクフルト・オーデル(ドイツ東部オーデル川の畔にある都市ドイツ中部大都市フランクフルトではない。)の大学文学触れると、神学校中退して文学の道に入りライプツィヒ大学学んだ。そこで人文主義目覚めるのだが、まもなくライプツィヒ流行病襲いフッテンライプツィヒ離れて数年間の旅に出た1年ほど北海放浪したあと、ボヘミアウィーン北イタリアでのパヴィーアボローニャを周った。この間フッテン学生傭兵として生活を送っていたという。 1514年ドイツに戻ると、フッテンエラスムス知遇得てエラスムス助手しながら数年を共に過ごしたという。その間フッテン自身著作行っていて、『Epistulae obscurorum virorum』(1516年)などの作品知られている。これは人文主義立場から教会批判するものであったが、教義教皇直接攻撃するほどの内容ではなく組織に対する批判述べたようなものだった。翌1517年には、マクシミリアン1世によって桂冠詩人誉れ授けられている。このあとフッテンマクデブルク大司教ドイツ語版英語版)のアルブレヒトドイツ語版英語版)に仕えた。このマクデブルク大司教アルブレヒトは、まもなくマインツ大司教となり、贖宥状販売ルターによる教会批判引き金となる人物である。しかしまもなくフッテンは反ローマ的な著作のせいでアルブレヒトのもとを去らなければいけなくなったその後フッテン大司教アルブレヒトや、新皇カール5世にたびたび手紙出してカトリック教会の改革必要性説いた。しかしそれは無視された。やがてフッテン激し愛国心ローマ対す敵愾心露わにし、教会対す革命的闘争企図するようになっていった。その著作初めラテン語だったが、後にはドイツ語で著すようになり、1520年には『対話集』を著した。これはドイツ愛国主義ローマ教会批判性格強く帯びたのだったフッテン人文主義者の中で、政治家として最も目立つ存在となっていった。 その頃教会批判始めたルター対しフッテン書簡送りその中で「どんなことがおころうとも私が傍についております。われらは共通の自由を擁護しようではありませんか」と述べルター強く支持することを表明していた。しかしフッテン本物ルター派ではなかったと考えられている。フッテン教義の面ではルターとは考え合わない部分もあったが、教会改革実現するためにはルターの力が必要と考えていた。1521年ヴォルムス帝国議会ルター召喚が決まると、フッテンさかんにカール5世手紙出してルター考え容れるように訴えたこの後宗教改革動きは、ルター意図反して急進的過激な方向進んでいった。ルター自身寛容さ忍耐によってゆっくり着実な改革望んでいたのだが、ヴォルムス帝国議会出席して帝国アハト刑宣告されルターがその直後に「失踪」してしまったことで、指導者失った宗教改革派が過激化してしまったのであるフッテンは「剣と筆の闘士」として、そうした過激な蜂起精神面を担う立場になっていった。

※この「精神面の支柱、フッテン」の解説は、「騎士戦争」の解説の一部です。
「精神面の支柱、フッテン」を含む「騎士戦争」の記事については、「騎士戦争」の概要を参照ください。

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