米給油艦等の撃沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:18 UTC 版)
5月7日、第四艦隊司令長官井上成美中将は、水上機部隊に「デボイネ南東165浬にある敵航母に蝕接を確保せよ」と命じ、MO機動部隊にはアメリカ軍機動部隊の撃滅を下令した。ラバウルの第四海軍航空隊第二十五航空戦隊からは一式陸上攻撃機3機、ツラギから横浜海軍航空隊の九七式飛行艇4機も加わり、珊瑚海の索敵を行った。MO機動部隊では、原少将が航空参謀の西方索敵案を却下し、南方重視の索敵を指示した。午前4時 (06:00)、第五航空戦隊翔鶴と瑞鶴から偵察機12機(九七式艦上攻撃機各艦6機)が発進した。午前5時30分頃 (07:30)、翔鶴偵察機2機(柴田飛曹長機、大竹 一飛曹機)がアメリカ軍空母、油槽艦、重巡洋艦発見を報告する。原少将は、自らの南方重視索敵が的中したことで勝利を確信したという。午前6時15分 (08:08)、瑞鶴から嶋崎重和少佐率いる37機(零式艦上戦闘機9、九九式艦上爆撃機17、九七式艦上攻撃機11)が発進、翔鶴から高橋赫一少佐率いる41機(零戦9、九九艦爆19、九七艦攻13)、両艦合計78機が発進した。ところが翔鶴偵察機の報告はタンカーと空母の艦型を見間違えたことによる誤報であり、午前7時15分 (09:15) 前後にMO機動部隊第一次攻撃隊が到着した時、実際にいたのは空母ではなく駆逐艦シムスと給油艦ネオショーであった。日本軍攻撃隊はネオショーを放置し、幻のアメリカ軍機動部隊を求めて付近の捜索を行った。 午前6時50分 (08:50)、衣笠・古鷹偵察機より翔鶴偵察機の報告位置とは全く違う地点にサラトガ型航空母艦出現の情報が入った。MO機動部隊は、まず南方のアメリカ軍機動部隊を撃破し(ネオショーの誤認に気付いていない)、続いて西方のアメリカ軍機動部隊(第17任務部隊)を撃破するという方針をたてた。午前8時 (10:00)、2機の翔鶴索敵機は自分達が発見した「航空母艦」の正体が「タンカー」であることに気付いた。翔鶴索敵機は午前8時35分 (10:35) になって「わが蝕接せるは油槽船の誤り」と報告(第一報より3時間10分、艦爆隊到着より1時間33分後)した。MO機動部隊は恐慌に陥り、攻撃隊に帰投命令を出すと、西方のアメリカ軍機動部隊へ変針した。MO機動部隊第一次攻撃隊のうち雷撃隊は攻撃を行わず帰路につき、午前9時30分 (11:30) 九九式艦上爆撃機36機のみで急降下爆撃を行った。この攻撃でシムスが轟沈、ネオショーにはアメリカ軍記録直撃8発・至近弾8発があり、さらに被弾した瑞鶴隊1機が体当たりを行った。航行不能となったネオショーは漂流し、5月11日に駆逐艦ヘンレーによって処分された。翔鶴索敵機2機は母艦にたどりつけずインデスペンサブル礁に不時着、搭乗員6名は救助に向かった駆逐艦有明に収容された。MO機動部隊は九九艦爆2機、九七艦攻2機を失った。
※この「米給油艦等の撃沈」の解説は、「珊瑚海海戦」の解説の一部です。
「米給油艦等の撃沈」を含む「珊瑚海海戦」の記事については、「珊瑚海海戦」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から米給油艦等の撃沈を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から米給油艦等の撃沈を検索
- 米給油艦等の撃沈のページへのリンク