米田 功
米田功の画像
| 芸名 | 米田 功 |
| 芸名フリガナ | よねだ いさお |
| 性別 | 男性 |
| 生年月日 | 1977/8/20 |
| 星座 | しし座 |
| 干支 | 巳年 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 身長 | 172 cm |
| 体重 | 66 kg |
| URL | http://www.yonedaisao.com/ |
| ブログURL | http://ameblo.jp/isao-yoneda |
| プロフィール | 7歳から体操を始め、全国中学生大会で個人総合優勝。清風高校時代にインターハイで個人総合2位。順天堂大学に進み、1997年の全日本学生選手権個人総合2位、1998年のNHK杯で個人総合優勝。1999年には全日本学生選手権個人総合優勝、全日本選手権の鉄棒で優勝を果たす。シドニーオリンピックでは、まさかの代表落選。その雪辱を晴らし、2004年のアテネオリンピックでは日本男子体操のキャプテンとしてチームを牽引。団体で28年ぶりとなる金メダルを獲得。種目別の鉄棒でも素晴らしい演技を見せ、銅メダルを獲得。アテネオリンピック後の度重なる手術を乗り越えた2008年NHK杯での演技は、観る者に感動を与えた。惜しくも北京オリンピック代表の座を逃したが、 金メダリストとしての経験をもとに、2009年からメンタルトレーナーとしての活動をスタートさせた。(株式会社アイディアヒューマンサポートサービス所属) |
| 代表作品1 | NHK教育『ヒミツのちからんど』 |
| 代表作品2 | フジテレビ『体操 JAPAN CUP 2010』解説 |
| 職種 | スポーツ |
» タレントデータバンクはこちら
米田功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/29 01:53 UTC 版)
|
||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 選手情報 | ||||||||||||
| フルネーム | 米田功 | |||||||||||
| 国籍 | |
|||||||||||
| 生年月日 | 1977年8月20日(48歳) | |||||||||||
| 生誕地 | 大阪府 | |||||||||||
| 身長 | 172cm | |||||||||||
| 体重 | 64kg | |||||||||||
| 種目 | 体操競技 | |||||||||||
| 学歴 | 清風高校→順天堂大学 →マサチューセッツ州立大学大学院 | |||||||||||
| 引退 | 2008年 | |||||||||||
|
||||||||||||
米田 功(よねだ いさお、1977年8月20日 - )は、元体操競技選手。株式会社CARTWHEEL(米田功体操クラブ)代表取締役、徳洲会体操クラブ監督、日本体操協会常務理事[1]。大阪府堺市出身。
人物
小学1年生で大阪市の体操クラブに入り、2年後に市内の名門「マック体操クラブ」に移る。その後、強豪の清風中学校・高等学校に進学し、中学2年生の時に全国大会で初優勝[2]、高校時代はインターハイで個人総合2位になる。順天堂大学に進み、1997年の全日本学生選手権個人総合2位、1998年のNHK杯で個人総合優勝。1999年には全日本学生選手権個人総合優勝、全日本選手権の鉄棒で優勝を果たす[1]。
しかし、2000年のNHK杯は7位となり、シドニーオリンピック代表を逃す。 2003年は、大会1週間前に左脹脛痛を発症して満足な練習ができず、跳馬と平行棒で致命的なミスをして世界選手権は補欠となる[3]。同年11月の全日本選手権で初優勝。翌年のNHK杯でも優勝した。
2004年、アテネオリンピックでは男子体操の主将を務め、団体で優勝。種目別でも鉄棒で3位に輝いた。同年10月20日に彩の国功労賞を受賞。
2008年、北京オリンピックの代表選考会となるNHK杯で個人総合8位となり代表を逃した。その後、体力と精神力の限界を理由に同年5月6日に引退を表明し、指導者を目指す意向を明らかにした[4]。
引退後は、2012年に自身の体操クラブである米田功体操クラブを設立、2013年1月からは徳洲会体操クラブの監督となる[1]。
経歴
- 1977年8月20日、ドイツ・ハンブルクに生まれる。
- 1984年、なんば体操クラブで体操を始める。その後、マック体操クラブへ移籍。
- 1993年4月、清風高校に入学。
- 1996年4月、順天堂大学に入学。
- 1998年、NHK杯個人総合で優勝。
- 1999年、全日本学生選手権個人総合で優勝。
- 1999年、全日本選手権の種目別鉄棒で優勝。
- 2000年、徳洲会に入会。
- 2003年8月、世界選手権は補欠。
- 2003年11月、全日本選手権個人総合、種目別ゆかで優勝。
- 2004年5月、NHK杯で2度目の優勝。
- 2004年8月16日、アテネオリンピックの男子体操団体で優勝。
- 2004年8月23日、アテネオリンピックの男子体操種目別鉄棒で3位。
- 2004年11月14日、全日本選手権種目別鉄棒で優勝。
- 2008年5月6日、現役引退を表明。
- 2009年、メンタルトレーナーとして活動。
- 2012年、米田功体操クラブを設立。
- 2013年、徳洲会体操クラブの監督に就任。
- 2016年4月、マサチューセッツ州立大学大学院に入学。
書籍
- 見えない壁を壊す! 敗者を勝者に変える米田式メンタルメソッド (2011年、光文社)
- 体育のにがてを克服!小学生の運動上達のコツ50 とび箱・鉄棒・マット・なわとび・かけっこ (2019年、メイツ出版)
その他
|
この節には複数の問題があります。
|
- マック体操クラブに入った当初から、コーチらから「天才」「絶対強くなる」と期待されていた。
- 練習嫌いで、3種目だけ練習して帰ることもあったが、03年の世界選手権で後輩の鹿島丈博選手、冨田洋之選手の活躍をみてからは、きちっと練習するようになった。
- モンスターボックス21段という記録も持っている。
- 身長172cmは体操選手としては比較的長身だが、中学校に入学した頃は130cmしかなかったという。
- 2008年7月20日、一般の女性と結婚した[5]。
- 2009年4月からアイディア式メンタルトレーニング「トップメンタルトレーニング(米田メソッド)」を開始。
- ファンからは、ペ・ヨンジュンの「ヨン様」になぞらえた「ヨネ様」という愛称で呼ばれている[6]。
関連項目
脚注
- 1 2 3 “米田 功 株式会社サニーサイドアップ”. 株式会社サニーサイドアップ. 2020年8月24日閲覧。
- ↑ “練習は苦手な種目から…米田功さん”. 読売新聞オンライン. 2020年8月24日閲覧。
- ↑ “米田初五輪!鉄棒で決めた逆転V/体操”. nikkansports. 2020年8月24日閲覧。[リンク切れ]
- ↑ “五輪=男子体操の米田が引退を表明、塚原は現役続行”. ロイター. 2020年8月24日閲覧。[リンク切れ]
- ↑ “アテネ五輪金の体操米田氏、結婚していた”. nikkansports. 2020年8月24日閲覧。
- ↑ ジャンクSPORTS・トークダイジェスト 2005年1月30日[リンク切れ]
外部リンク
- 米田功オフィシャルサイト
- 米田功オフィシャルブログ「SECOND☆STAGE」 - Ameba Blog
- 米田功公式ブログ(旧ブログ) - ウェイバックマシン(2006年4月8日アーカイブ分)
- 米田功 - 国際体操連盟のプロフィール
- 米田功 - Olympedia
- カートウィール - 米田功体操クラブ
- 米田功
固有名詞の分類
- 米田功のページへのリンク