箱根 DRIFT DANCERS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 15:33 UTC 版)
「レーシングラグーン」の記事における「箱根 DRIFT DANCERS」の解説
HAKONEの「HOLY ROAD(七曲り)」を拠点とするチーム。「リーダー格の走り屋たちによって結成された」という設定だが、リーダー以外はザコ並に遅いほど実力は中途半端である。通称「箱根DD」。 織田 真学 (おだ まなぶ) 箱根DDの創設者にして先代の「箱根の皇帝」。33歳。搭乗車種は、「織田イエロー」と名付けられた山吹色のEvo-2000。 10年前の横浜戦争(横浜最速伝説の当時の呼び名)終結を機にHAKONEに戻り、強豪ひしめく峠をわずか3日で制し、箱根DDを結成した(当時の愛車は湾岸仕様のRS2000)。藤沢が峠を降りてからは引退状態だったが、医者からの余命宣告をきっかけに再び走り始めた。詳しい経緯は不明だが、事件の真相を知るある人物と何らかの繋がりがあり、手がかりを求めて奔走する赤碕に進むべき道を示す。 名前のモデルは、D1グランプリや全日本GT選手権(現SUPER GT)で有名な、走り屋出身のレーシングドライバー・織戸学。 虎口 美春 (こぐち みはる) 箱根DDの現リーダーで、「箱根の皇帝」の継承者。24歳。搭乗車種はライトブルーのX1800。 大胆に胸をはだけたライダースジャケットと分厚い胸板、そして腰まである長い髪を後ろで一つに結んだオールバックというワイルドな風貌。腕力も強く、木下によれば苺狩りの看板を拳一撃真っ二つにした事もあるという。 藤沢のHAKONE時代からの戦友で、辻本以上にストイックな性格だったが、終盤にWEST-RRの椎名京香と恋に落ちたことで「軽量化で助手席外すのもやめだ!」「やっぱり、いつかはファミリーカーだ!」などと口走る軟派なキャラクターに変貌してしまう。公式ファンブックによれば後に椎名京香と結ばれ、子宝にも恵まれたようである。 名前や設定のモデルは、「ドリフトの帝王」の異名を持つD1ドライバー・古口美範。 山崎 リョウ (やまざき りょう) 箱根DDのNo.2。搭乗車種はワインレッドのCeline(SS-III)。 茶髪のロン毛にイヤーカフ、そして派手な柄のTシャツという軽薄そうな身なりと、それにたがわぬ薄っぺらい性格の持ち主。 「箱根の皇帝」に憧れる若い走り屋達のコーチを買って出ており、UORも仕切っているが「ブレーキ禁止」「バック走行限定」「トラックおよびバスのボディ限定」など、珍妙なルールのレースを開催している。 木下 圭壱 (きのした けいいち) 「HAKONEのドリフトキング」を自称する箱根DDのメンバー。丸型のサングラスに派手な柄シャツというチンピラ風の出で立ちからは想像しにくいが、山田と同じ18歳である。 搭乗車種は86-Thunder だが、エンジンを111-Levに搭載されているG-4A111に換装している。ボディカラーはシルバー/ネイビーのツートン。 BLRと箱根DDのチームバトルでは、なぜかNo.2の山崎よりも速い。名前や設定のモデルは、「ドリキン(ドリフトキング)」の愛称で知られる土屋圭市。 加東 源児 (かとう げんじ) 箱根DDのメンバーながら「三京の黒い悪魔」なる異名を持つ走り屋。19歳。搭乗車種は黒のSW2000(G)。 異名通り黒い帽子とジャケットを身に着けている。不敵な笑みを浮かべつつ大口をたたく傲慢な性格とは裏腹に、ホームコースであるはずの第三京浜道路では赤碕に軽くあしらわれ、チーム内においても最下位という散々な扱い。
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