箱根における交通機関とは? わかりやすく解説

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箱根における交通機関

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 13:27 UTC 版)

箱根山戦争」の記事における「箱根における交通機関」の解説

箱根における交通機関は、芦ノ湖において1909年ごろに定期航路開設されたものが最初とみられている。元箱根村村会議員であった大場金太郎の家は、ハコネダケ使用した製品作っていたが、大場1909年仕入れ出荷共同で行うべく「篠竹組合」を設立していた。ちょうどこの時期に、芦ノ湖訪れ、舟によって対岸渡った周遊したいという観光客増えていた ことから、大場は「篠竹組合」の利益金で各戸に舟を持つことを勧めていたのである当初はすべて和船による運航であったが、1917年頃には既にモーターボート導入されていた。この頃には箱根渡船組合箱根町渡船組合芦ノ湖航路運航しており、互いに観光客奪い合っていた。 小田原電気鉄道登山電車 富士屋自働車乗合自動車 1919年6月1日小田原電気鉄道当時)が登山電車鉄道線)を開通させ、富士屋自働車乗合自動車路線バス)の運行開始すると、多く観光客訪れようになった一方軽井沢において広大な土地の取得成功していた堤康次郎は、箱根着目し1920年3月箱根土地(後にコクド2006年プリンスホテル吸収)を設立し別荘地分譲などを中心とした観光開発行なっていた。堤康次郎大場リーダーシップ着目し大場手を組む形で1920年4月に、それまで競合していた箱根渡船組合箱根町渡船組合合併して箱根遊船設立した。これが、堤康次郎箱根最初に手がけた交通機関である。1921年12月1日小田原電気鉄道鋼索線開業すると、早雲山まで登山電車ケーブルカー乗り継ぎ、そこから徒歩芦ノ湖まで歩いて湖尻から元箱根まで船で渡る観光客増加した ことを受け、小田原電気鉄道箱根遊船提携して1922年5月から「箱根廻遊切符」の発売開始した。 この時点で、堤康次郎は既に箱根において889ha.(ヘクタール)の土地買収しており、その後翌年までに湯河原箱根町を結ぶ鉄道や、強羅から仙石原経て箱根町に至る電気鉄道の建設出願している が、いずれも着工至らず1924年駿豆鉄道当時)を買収したまた、小田原電気鉄道堤康次郎仲介によって1928年日本電力売却され同年8月13日箱根登山鉄道として発足した

※この「箱根における交通機関」の解説は、「箱根山戦争」の解説の一部です。
「箱根における交通機関」を含む「箱根山戦争」の記事については、「箱根山戦争」の概要を参照ください。

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