管理会計・財務会計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 23:08 UTC 版)
フレデリック・テイラーは生産管理の方式を考案し、科学的管理法と呼ばれるようになった。テイラーは会計担当者に生産管理を分析させてコスト評価の正確性を高め、その管理法は製造業でいち早く導入が進んだ。繊維産業では、作業者を管理する方法として標準原価計算が採用され、それまでの職人的な生産から大規模化した。鉄鋼産業では鋼鉄の前段階と後段階で原料の節約に原価計算を役立てた。自動車産業ではフォード・モーターが大量生産を確立した。 鉄道産業の管理会計は、20世紀初頭のデュポンの会計に影響を与えた。デュポンは多くの火薬会社を吸収合併して設立されたため、鉄道会社よりも複雑な組織だった。会計情報をもとに最高経営管理者から下層管理者までの管理活動を体系的に支援した最初期の企業であり、投資利益率(ROI)の手法を使って化学産業など他業種へと業務を拡げてゆく。ROIは大手小売店の店舗面積の売上高粗利益率にも活用され、さらに応用が進んで大手小売店の店舗面積の売上高粗利益率にも使われるようになった。企業の大規模化で会計や管理の作業量が増え、解決のために機械化が進んだ。遠隔地との連絡を取る電信・電話、計算に用いる加算機(英語版)・会計機、タイプライター、パンチカード式の作表機などが19世紀末から20世紀初頭にかけて普及した。 科学的管理法は公会計にも改革をもたらした。19世紀末からアメリカでは移民増加と地方財政の歳出急増、都市部の政治腐敗が問題とされ、企業の手法だった科学的管理法が政府組織に導入された。支出統制にもとづく予算管理はニューヨーク市をはじめとして地方自治体で普及し、連邦政府も予算・会計法(英語版)(1921年)を制定した。 1919年、会計学者のジェイムズ・O・マッキンゼー(英語版)はシカゴ大学で会計の講座を発表した。この講座はそれまでの帳簿や出納管理など会計士のための教育とは異なり、経営に役立つ会計を教える内容だった。マッキンゼーの講座は人気を集め、コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニーの設立へとつながった。マッキンゼーは1922年の著書『管理会計』で、予算管理の目的は部門の活動の調整、あるいは部門の活動のコントロールにあると書いており、この本の内容をもって管理会計の成立とされている。マッキンゼーの管理会計は、連邦政府の新しい予算制度からも影響を受けていた。 管理会計成立期の1920年代においては、標準原価計算・予算管理が中心的な手法であったが、1930年代に入って直接原価計算が発明された。直接原価計算は従来の全部原価計算と異なり、在庫の増大が経営へマイナスに作用することを反映したもので、部分的にではあるが、利益管理のためのキャッシュフロー情報の提供を行うものであった。 一方、19世紀からアメリカでは全国規模の株式会社の設立が進み、トラストと呼ばれる大規模な企業活動が独占を招き、社会で議論となった。トラスト問題の解決として財務情報の公開が求められ、企業外に向けた情報である財務会計が一般会社においても始まった。企業の活動を利害関係者に伝えるための財務諸表の形式が整えられ、USスティールの1902年の会計報告書には貸借対照表と損益計算書がそろっており、現在の財務諸表に近い。
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