第2次攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:24 UTC 版)
国連軍の正確な集中火力と第11中隊の勇戦によって第1次攻撃に失敗した中共軍は攻撃を停止してからわずか25分後の午後8時40分に第2次攻撃を開始した。第38軍は予備の第112師第334団の1個営を第10中隊と第3中隊正面に投入した。下眞明洞南側の開闊地接近路を確保する意図があると推測し、師団長は師団予備の第28連隊に出動準備させ、支援火力を正面に集中させた。第10中隊と第3中隊は第1次攻撃で破損した陣地を補修する間もなく中共軍を迎えることになり、月光と照明弾により先発の1個連に後続して1個営規模の部隊が下眞明洞南側に広がる野原を埋めているように見えた。火砲が集中しているにも関わらず中共軍は韓国軍陣地に接近し、最後の阻止線を挟んで激しい射撃戦と手榴弾戦が展開された。 第1大隊は火力を総動員して中共軍に出血を強要していたが、午後10時になって第10中隊第2小隊(小隊長:徐虎潤少尉)の左側陣地の一部が突破された。この時、第9重迫撃砲中隊の観測兵は、歩兵が陣地から退いたにも関わらず、現地の洞窟に残り無線で中共軍の状況を報告し、効果的な陣内射撃を実施した。第9重迫撃砲中隊は迫撃砲8門のうち6門が壊れるほど積極的な火力支援を行った。第10中隊はすぐに第3小隊(小隊長:崔順榮少尉)を支援部隊として投入して、第2小隊と第3小隊は激しい白兵戦を展開し、中共軍は突破口を拡大しようと後続の兵力を投入して圧力をかけていた。第1大隊長は第10中隊の状況を連隊に報告する一方で、第3中隊に主峰東南側と後斜面に阻止陣地を設置し、第10中隊の兵力損失を勘案して一時撤退を命じた。これまで第30連隊の逆襲命令を受けた第9中隊(中隊長:朴志遠大尉)でさえ中共軍の火網にかかり、敵前50メートルを前にして突破できないでいた。 このような戦況報告を受けた師団長は、強力な反撃を敢行すると決心し、予備の第28連隊第1大隊と師団捜索中隊(中隊長:姜章憲大尉)を第30連隊に配属させ、増援部隊として第28連隊第2大隊を255高地に移動させた。第9師団の全支援火力を中共軍の占領地域に集中させ、午後11時20分頃に第1中隊と第2中隊が左右から攻撃を開始した。中共軍は持ちこたえることができず、多くの遺体と装備を遺棄して下眞明洞北側に後退し、同じ頃駱駝稜線と第30連隊第3中隊を攻撃していた部隊も後退した。主陣地を完全に奪還した大隊は中共軍の逆襲に備えて陣地再編成を急いだ。 最初の夜で中共軍は推定1,500名の死傷者を出した。 この日の夜、中共軍は395高地の攻撃に先立ち、395高地の西南方3キロの地点にある281高地に大々的な攻撃を開始した。第113師は15個砲兵連の支援の下で3個連と1個排を投入した。この攻撃は395高地に対する陽動作戦と判断されたが、ここに配置されていたフランス大隊は支援火力の掩護下に白兵戦を展開し、中共軍の波状攻撃を撃退した。
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